第十一回:広く伝播しただけでは稼げない問題
前回は、鷹野さんが重要な指摘をしてくれました。簡単に言えば、「無料かつ柔らかいコンテンツの方が広く伝播する」ということです。これは広くインターネットの世界に見られるたしかな現象でしょう。
しかし、広く伝播しただけでは書き手や出版社は食っていけません。何かしらの手段を用いて稼ぐ必要があります。でもってこのことは、「コンテンツの価値とは何か?」という別の、それでいて関係する根深い問題をも提起します。
第八回の鷹野さんのチャートをもう一度掲示してみましょう。
このチャートを見ると、メディアがいかに収益を得ているのかには三つのパターンがあることがわかります。
・単純販売モデル
・広告収入モデル
・折衷モデル
「単純販売モデル」は、いわゆる書籍のモデルです。コンテンツを販売し、その対価を得る。非常にわかりやすい形です。
「広告収入モデル」は、Youtube(r)のモデルとなります。直接最終消費者に何かを販売することなく、広告によって収入を得る。インターネット以降爆発的に増えているモデルでもあります。
最後の「折衷モデル」は、新聞や雑誌のモデルです。コンテンツを販売しつつも、広告収入でも収益を得る。比重の置き方はいろいろでしょうが、販売部数が伸びれば、どちらの収益も増えていくのが特徴と言えるかもしれません。
さて、インターネットの存在を前提に置くのならば、広告収入モデルがうまくいきそうです。なにせ、最終消費者に「何かを買って」と迫る必要がありません。
ユーザーはコンテンツを楽しみ、(広義の)パブリッシャーはそのためのコンテンツを送り出す。でもって、広告主は広告を見てもらい、その対価をパブリッシャーに支払う。
実にwin-win-winな関係が構築されます。あたかもそれは、メディア・パラダイスのようではありませんか。
しかし、そんなに単純な話で終わるはずがありません。魔法の薬に見えるものは、実は劇薬の可能性があります。
一つ目の大きな問題は、主導権です。先日こんなニュースを見かけました。
YouTube、広告プログラムの参加基準を厳格化 - CNET Japan
2月20日以降、チャンネル登録者数1000人以上、過去12カ月間の総再生時間4000時間以上が必要になる。2017年4月の基準は視聴回数が1万回以上とされていた。
2月20日以降は、チャンネル登録者数が1000人に満たないYouTuberは一切広告収入を得られなくなります。ここに是非はありません。広告を仲介する機能をYouTubeが持ち、YouTuberがその機能に全面的に依存している以上、主導権は常にYouTubeにあります。これは非常に不安定と言わざるを得ません。
ブログに掲載するGoogle Adsenseも、やはりGoogleが主導権を持ち、価格決定に関してはブロガーは一切関与できませんし、突然Googleの都合で広告を打ち切られることすらあります。これもやはり不安定です。
広告の単価が下げられてしまえば、より多くのPVを求めるメディアの動きも強まるでしょうし、そこでは短期でたくさんのPVを稼げるようなコンテンツ(つまり、過激なコンテンツ)が大量生産されてしまうようなディストピアが待っているかもしれません。そうでなくても、「無料かつ柔らかいコンテンツ」ばかりがメディア市場を席巻してしまう可能性は常にあります。
そうしたコンテンツが一切ないのはそれはそれで不健全ですが、そればかりというのもやはり不健全です。
これは一つのメディアが儲かるか儲からないかの話ではありません。コンテンツ市場全体の健全性に関わってくる大きな問題です。
『不道徳な見えざる手』でも指摘されていますが、「市場」は決して万能な装置ではありません。むしろ、グレーなものを強く呼び込んでしまう可能性を秘めています。
一方で、こんな記事もあります。
ブログでメシが食えるか? Publickeyの2017年 − Publickey
小規模メディアとしてのPublickeyの特徴は、AdSenseやアフィリエイト広告に依存せず、バナー広告やタイアップ広告を直接販売して売り上げを上げていることです。
同じ広告収入モデルとは言え、こちらは仲介業を挟むことなく自分で広告を販売されております。
この場合、自身のブログ基盤さえしっかりしていれば、プラットフォームの意向に左右されることはありません。もちろん、メディアとして盤石とまでは言えないでしょうが、価格決定権や掲載する広告の選別についてはメディア主がコントロールできます。
つまり、同じ「広告収入モデル」といっても、プラットフォーム依存型と独自型では、抱えているリスクがまったく違っているのです。
もちろん、広告収入を得るための難易度や作業量の多さも、大きく違っています。「誰でも簡単に」というわけにはいきません。
しかし、AdsenseやYoutubeの参加基準が厳格化している流れを見ると、どのようなメディアでも、最終的には「誰でも簡単に」にはならなくなるのでしょう。「広告」というビジネスの目的から考えれば、それは必然の着地点でもあります。
「無料かつ柔らかいコンテンツの方が広く伝播する」ことがたしかだとしても、それだけで稼げるようにはなりません。
広告収入型の場合であっても、「ものすごく広く伝播」しないと十分な利益にはならないでしょう。そのためには「広く伝播する」ことに最適化されたコンテンツが必要となります。それができない下の方のメディアたちは、収益の点では足きりされてしまうのが、最終的なオチでしょう。
では、どうするのか。
それを考えるためには、「広く伝播することは本当に必要なのか? 必要だとしたらなぜ必要なのか?」を改めて問う必要があるでしょう。でもってその問いは、「コンテンツの価値とは何か?」という問いへの答えとも関わってくる予感があります。
といったところで、鷹野さんにバトンを渡してみます。
いや〜、風呂敷を広げてしまいましたが、たぶんこの辺の話がこの連載のコアになりそうな予感もあります。
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