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本は二度読む

本をどう読むかなんてまったく自由なわけですが、自らで情報を生み出していくという知的生産を主眼に置くならば、読んだだけで終わらせるのはちょっと物足りないかもしれません。

国立民族学博物館の初代館長であった梅棹忠夫さんも「よみっぱなしでは、効果がうすい」と、読了後にノートをつけることを勧められています。

ノートの内容は、なんでもいい。全体の要約をつくるのもいいだろう。感想や批評をしるすのもいいだろう。大久保忠利氏は、よんだ本のおわりの余白に自分のための索引をかきこむことをすすめておられる。それもひとつの方法であろう。

『知的生産の技術』

面白いのは、読書ノートの内容は「なんでもいい」とおっしゃっておられることです。目指していることによって適切なノートのスタイルは違ってくるでしょうし、本の種類によっても必要なノートの内容は違うでしょう。「この方法だから正解だ!」と言い切れないのが読書ノートの難しいところです。

逆に言えば、読書ノートのとり方は一つではなく複数ありえます。

  • 本の内容(著者の主張)を要約する

  • その本を読んで自分が感じたことを文章化する

  • その本の内容を批評的に論じる

  • その本の内容から役立ちそうなものを抜粋しておく

ごく単純に挙げてもこれくらいのバリエーションがあり、さらに引用個所でも紹介している「自分のための索引(索引)」をつくっておくやり方も有名です。

ちなみに、新書などでは索引(インデックス)がついていないものが多いので、もしかしたら見たことがない方もいらっしゃるかもしれません。以下は『「書き出し」で釣りあげろ』という本についている索引です。

『「書き出し」で釣りあげろ』

こんな感じで、(目次のように)内容の順番ではなく、キーワードごとの順番で並べ、そのキーワードが登場するページのページ数をセットに表記したものが索引です。

これのオリジナル版をつくる、というのが先ほどの方法で、自分が気になった個所の索引をつくっておけば、即座に必要個所にジャンプできる利便性が得られます。

読書ノートの二つの注意点

というように、いろいろな読書ノートのつくりかたがあるわけですが、梅棹氏は二つの点を注意しています。

  • まずは一気によむ、その後ノート

  • ノートをとるまでしばらく「積んでおく」

本を読みながらノートをとるようにしていると、なかなか読書が進まずイライラしてきます。また、細かい部分にこだわり過ぎて、全体として著者が何を言おうとしているのかを捉まえ損ねる問題もあります。

だから、ノートをとるのは後回しにして、先に本を読み終えてしまう。その際、あとからノートをとる個所をピックアップしやすいように鉛筆か何かで目印をつけておく。こういうやり方をするわけです。

もう一つの、読了後すぐにノートをとりはじめるのではなく、しばらく「積んでおく」のも面白いところです。買うだけ買って読まずに積んである本を「積ん読」などと呼んだりしますが、梅棹氏のこれは読み終えたものを積んでおくタイプの「積ん読」です。

そのような冷却期間を置いてからノートをとりはじめると、「この本に書いてあることは、何もかもが重要だ!」という興奮が落ち着き、内容を選りすぐることができるようになります。また、全体を細かく読む必要はなく、すでにピックアップした個所を拾っていけばいいので能率的です。

梅棹氏はこういう読書のスタイルを指して「本を二どよむ」(読書二遍法)と述べられています。まず最初に頭から終わりまで読む(印をつけながら)。次にしばらく時間を置いて印をつけた部分だけを拾いながら読む。実際は、「積ん読」している期間もあるので、トータルで三度読んでいることになるでしょう。

どのような形であっても

「本は三回読め」と言われたらいささか腰が引けてくるかと思いますが、梅棹氏のこの方法であればなんとなくできそうな気がしてきますね。でもって、こういうやり方の──一見手抜きに思える──再読法であっても、やはり「一度読んで終わり」にするという読み捨て型読書とは大きく異なる体験が得られます。

重要なのはそこでどんなノートをとるのかではなく、むしろ時間を置いて本を読み直すという体験そのものです。ノートはそのための補助線であり、一種の「言い訳/動機づけ」だと考えておけばよいかと思います。


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