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「この仕事を続けていく、という決意」

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~2020/03/16 第492号

はじめに

はじめましての方、はじめまして。毎度おなじみの方、ありがとうございます。

早川書房がまたどえらいセールを実施しております。

とても全部チェックできる規模ではありませんが、とりあえず、まだ『三体』を読んでいない方は、今がチャンスです。

実用書だと『アルゴリズム思考術』がおすすめです。

私もいろいろポチポチしそうです。

〜〜〜千葉雅也さんの定期購読マガジン〜〜〜

よく本を紹介させていただいている哲学者の千葉雅也さんがnoteでメルマガを開始されました。

月二回発行予定とのことで、そこにちょこちょこ生活のつぶやきも入っています。ご興味あればチェックしてみてください。

〜〜〜発言と信頼度〜〜〜

あくまで一般論として聞いてください。

他の人から聞いた話を、あたかも自分の知見であるかのように話している人を見かけると、「ああ、あの人には今後大切な話はしないでおこう」という気持ちになると共に、以降その人から語られる話も「実は別の人の知見じゃないの……」みたいな疑いが高まりますよね。

だから、自分が話をするときも「出典」については、重々注意した方が良いと思います。論文などではそれは厳しくチェックされますが、ブログだと非常に緩いので一層の注意が必要です。

〜〜〜認知に優しい〜〜〜

「〇〇ですべてうまくいく!」

みたいな表現は、ある種のリテラシーを持つ人にとっては非常に怪しく感じられるものですが、一方で、それは選択肢を減らしてくれるもの(≒切断装置)であることもたしかです。こういうのは、認知にとっても優しいのです。

たぶん、リテラシーが一定以上ある人でも、脳が認知疲れを起こしている状況なら、上記のような断言もスルスル受け入れてしまうのではないでしょうか。

だからこそ、普段から認知疲れを起こしにくい環境を整えたり、認知力の基礎体力を底上げしていくことが必要なのではないかと思います。

〜〜〜A or 反A〜〜〜

ノウハウ系の話でよく見かける風景なのですが、「このノウハウが素晴らしい」ということを力説するために、そのノウハウと反対の性質を持つもの(仮に反Aとしましょう)を、徹底的にこきおろす人がよくいます。

軋轢がありそうなので実例をあげることは避けますが、「よく使われている〇〇なんて全然だめ。非常識。あんなものは何の役にも立たない。実際はこのノウハウがいいんです」というような言説のことです。

で、この言説の中では、「Aか反Aか」を選択することになってしまいます。Aと反Aの良いところをうまく使って、のようなジンテーゼは起きず、むしろ「どちらが正しいのか」というある種の宗教戦争すら勃発しかねません。わりと不毛です(それはそれで意義があるのかもしれませんが)。

この構図自体が避けられないのは仕方がないにせよ(なにせ言論は自由です)、問題は、相手を徹底的にこき下ろす言説の方が広まりやすい、という情報伝播の性質にあります。

「Aも反Aもいい感じに使いましょう」から「反Aなんて絶対だめ。Aこそ正義」までグラデーションのように言論の強度が広がっている場合、認知の容易さや「説得力」の強さから考えて、自然淘汰的に一番極にある「反Aなんて絶対だめ。Aこそ正義」が受容され、主要な言説として生き残ってしまう確率は高いでしょう。こうなると、対立しか生まれません。ノウハウの進化的な成長は望むべくもありません。

だったらどうしたらいいのか、というのはまったくノーアイデアなのですが、わりと殺風景だなとは常々感じています。

〜〜〜受けそうなタイトル〜〜〜

以下のようなツイートをしました。

私はこうして思いついた(架空の)本のタイトルをツイートするのですが、このツイートには13個のいいねをつけてもらえました。私の平均からすれば大きい数字です。

ということは、このタイトルの本を書けば結構受けるのではないか、という予想が立ちますね。これがいろいろツイートしておくことの一つのメリットではあります。もちろん、予想が現実になるとは限りませんが、ノーヒントで進めるよりは「手探り感」は減ってくれます。

〜〜〜ネットの趣味的集まりの難しさ〜〜〜

インターネットでは、さまざまな同好の集まりとそれを支えるプラットフォームが存在しているのですが、私がみる限り、あまりそれは盛り上がっていません。投稿が活発にならないのです。

で、自分のことを振り返ってみても、その原因はTwitterにあります。何か書きたいことがあったら、まっさきにTwitterを開くのです。「そうだ、Twitterに書こう」と決意するのではなく、もはや脊髄反射のように(あるいはパブロフの犬のように)ツイートの内容を考え、そして実際に投稿してしまっています。

その投稿の中には、本来同好の集いに投稿した方が良いものも含まれているのですが、かといってもう一度再投稿しなおすほどの気力もありません。こうして、同好の集まりは静まりかえり、Twitterはいつもの通り賑やかに盛り上がっています。

もちろんこれは私が重度のTwitter中毒だから、という側面はあるでしょうが、Facebookなどを加えて考えれば、雑多な投稿を許容してくれるプラットフォームと、ある傾向を持った投稿のみを受け付けるプラットフォームでは、前者の方が投稿しやすいのは間違いないでしょう。

この辺を何か変えていければ、もう少し違った「盛り上がり方」ができるとは思うのですが。

〜〜〜今週見つけた本〜〜〜

今週見つけた本を三冊紹介します。

非常に興味深い問いですね。アイデアの生み出し方などの個人的ノウハウは豊富に研究されていますが、人間の身体性からの議論はそれほどありません。ポイントは、"これまでの「個人内に局在する」創造性観から「誰もが備え,どこにでも遍在する」創造性観への飛躍を試みる"という点でしょう。

大きな岐路に立たされている点は間違いない出版業界。その中でも、編集者の仕事のやり方は今後色合いを変えていくでしょう。"自らの編集者生活をふりかえり、具体的なエピソードを通して語る体験的編集者論"ということなので、編集者を志している方には参考になる話が多いかもしれません。

「構成主義的情動理論」についてはさっぱりわからないわけですが、情動がいかに作られるのか、という話は面白そうです。おそらく重要な主張は次の点でしょう。"情動は〈理性のコントロールが及ばず自動的に引き起こされる反応〉ではない。"だったら、情動とは何なのか。興味を惹かれます。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりでも考えてみてください。

Q. 『書くためのエンジン』の章立てを考えてみてください。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今回は長めのコンテンツ1つとおまけのコンテンツ1つでお送りします。
 
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2020/03/16 第492号の目次
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○「この仕事を続けていく、という決意」

○「心療内科に行ってきた3」

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

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○「この仕事を続けていく、という決意」

1ヶ月前に比べると、ずいぶん元気になりました。今なら無双シリーズの一武将として活躍できそうな気がします(気がするだけ)。

元気になってくると、つくづく文章を書きたくなってきますし、そのことが「ああ、自分は文章を書くことが好きなんだな」と再確認を促します。もともと自覚していたことではあるのですが、あらためてそれが実感されるのです。

体調がほんとうに悪いときは、1日1時間執筆作業をするのもしんどくて、なんとかこのメルマガだけを維持している状態でした。そういうときは、考え方も悲観的に針が振れていますので、「このまま体調が回復しないようなら、最悪他の仕事をすることになるかもしれないな」と覚悟みたいなものを決め込んでいました。

というか、そのように覚悟することで、自分が不調であることを受け入れようとしていたのでしょう。今の仕事は続けていけなくても、何かしら別の仕事はできるだろうし、それでかまわないのだ、と。

しかし、こうして体調が回復してきて、文章を書けるようになってくると、つくづく「ああ、自分は本を書く仕事が好きなんだ」と痛感します。この仕事にまつわるさまざなことが好きですし、自分の能力が発揮されているような感覚も得られます。さすがに10年ほども続けているのですから、サンクコストの呪縛的なバイアスもあるでしょうが、それよりも深いレベルで自分はこの仕事が好きなんだという実感を最近は持っています。

■是が非でも、という気持ち

とは言え、ただ好きなだけで仕事が続けられるわけではありません。厳しいようですが、それが現実です。

もちろんこれまでも、「仕事をするんだから精一杯やる」ことは意識していました。これは別に自営業の物書きになったからではなく、コンビニ店員時代からでも意識していたことです。ただ、物書きになってからは、「精一杯やってダメだったら、何か別の仕事をしようか」という気持ちを持っていました。それは気負い過ぎないための一つの防御策だったのですが、そこには甘さも混じっていたのではないかと今振り返ってみて感じます。

体調が回復しつつある今は、「精一杯やってダメだったら、何か別の仕事をしようか」という気持ちではなく、「是が非でも、この仕事を続けていきたい」という気持ちが強まっています。

もちろん、「是が非でも、この仕事を続けていきたい」と思ったところで、それが現実化するわけではありません。『思考は現実化する』という本がありますが、むしろ「何かを現実化させたければ、まず思考が必要だ」というのが本当のところではないかと思うわけですが、脱線は避けておきましょう。

とりあえず、是が非でもこの仕事を続けていくためには何が必要なのかを考え、それを実行していくことがこれからの課題となります。

■分析的に考える

ここからは分析的に進めていきましょう。まず、必要なことの二大目標は以下です。

・健康維持
・売上作り

「健康維持」の重要性は、ここ2年くらいで痛感しました。これまで健康優良児として生をまっとうしていたので、まったく意識しないか意識しても「そろそろダイエットしなきゃね」と言うおじさま・おばさま方と同じくらいの強度だったのですが、今は真剣味が増しています。あるいは極めて切実な問題となっています。

「売上作り」に関しては、仕事なので当然と言えば当然なのですが、ある程度の余裕というか、「一年くらい仕事ができなくても、安心して休んでいられる」程度の貯蓄を維持できるラインを目指したいところです。そうすれば、最悪体調不良がぶり返しても、強い焦りを感じなくても済みます。セーフティーネットの整備は大切です。

以上を踏まえて、さらに分析してみましょう。

■健康維持:肉体面

健康維持に関しては、肉体面と精神面の二方向があります。

まず、肉体面では「運動」を生活に取り入れることでしょう。これはすでに行っています。日常的なウオーキングとストレッチ、それに週三回ほどの軽い(≒強度の低い)筋トレは日課になりつつあります。

当初はジムに通うことも検討していたのですが、今のところは保留しています。あるいは、気晴らしとなるスポーツをはじめてみてもいいかもしれないなと考えています。

また、作業量を増やし過ぎないのも健康維持においては大切です。なにせたいていの作業中は座りっぱなしの状態なので、腰痛や肩こりを引き起こしやくなっています。運動を増やすことに加えて、座り過ぎないことも心がけたいところです。

■健康維持:精神面

精神面に関しては、過剰なストレスをケアすることが第一目標でしょう。

「本を書く」という行為自体が、かなり神経をすり減らす作業なのですが、それ自身は書き仕事に必ず伴うものであり、避けがたい要素でもあります。そして、案外それは「過剰なストレス」とは言えません。テニスプレイヤーが激しく走り回ることを過剰な運動とは言わないように、「本を書く」行為において発生する認知的運動の強さは、別段過剰とは言えません。

しかし、「本を書く」ことがうまく進んでいないときは話は別です。進捗が生まれず、同じところをグルグル回っているばかりか、何かしら後退しているような感覚を覚えるとき、心にかかる圧迫は加速度的に増え続けていきます。これはまずい状況です。

整理しておくと、文章を書く際の認知的運動は、知的に面白いのです。ある種、パズルを解くような快があって、その心地よさが私をこの仕事に引きつけています。一方で、「本を書く」ことにはそれ以外の認知的運動(ないしはその運動の空回り)があって、それは快を生むことはなく、むしろ過剰なストレスとなって現れます。

つまり、そういう状況をできるだけ生じさせないようにするか、あるいは生じてしまったときにケアできる環境を整えることが大切になってくるでしょう。

ちなみに、セルフパブリッシングでは進捗の停滞はかなりのダメージが発生します。執筆はもともと孤独な作業ですが、セルフパブリッシングでは編集者という同伴者もいないので、さらにその孤独感が強まるのです。孤独な状態での停滞は、視野を固定させてしまい、ますますその状況からの脱出を困難にします。

私は職場に行って仕事をすることもありませんし、講義を持って生徒と対話することもありませんので、基本的な孤独な状態が通常です。よって、「進捗の停滞」問題に関しては、より一層ケアする重要性が増すと考えられます。

■売上作り

では、次に「売上作り」の分析に移りましょう。

売り上げは、「本の単価×販売部数」によって計算されますので、そのどちらか(あるいは両方)を上げていくことが道のりになります。

「本の単価」に関しては、内容のクオリティーをアップさせることがもっとも基本的な手段ですが、とは言え市場の相場があるので、そんなに簡単にグイグイ上げていけるものではありません。

となると「販売部数」ですが、これは一つの本をたくさん売れるようにする方向と、たくさんの本を作り出していく方向の二種類が考えられます。どちらも、大切な方向でしょう。

これまでの私のセルフパブッリングでは「たくさん売れるかどうか」はあまり(というかほとんど)気にしていませんでした。自分が作りたいものを、作りたいように作ってきたわけです。しかしそれはある意味で「甘え」ではあったでしょう。今後は、もう少し(もう少しだけです)「売れる本」作りを目指していきたいところです。

もう一つの、「たくさん本を作り出す」のは、考えうる限りもっとも直線的な方法でしょう。なにせ、どうやったらクオリティーをアップさせられるのかはわかりませんし、どんな本が「売れるのか」も確定的にはわかりませんが、「たくさん本を作り出す」ことは、自分のワークフローの問題として片付きます。ようするに、たくさん文章を書けば、それでいいわけです。

とは言え、単にアウトプットを大量に増やしまくればOKかというと、もちろんそういうわけではありません。質が極端に劣化すれば、一本あたりの販売部数が低下し、トータルで見てトントンかそれ以下になってしまうでしょうし、それ以上に「この著者の本はもうダメだ」と認識されてしまうでしょう。それは長期的に見て、販売部数を押し下げる結果にしかなりません。この仕事の継続には寄与しないのです。

たとえばこれが10年くらい前の出版業界・ビジネス書界隈の話であれば、出版社はとにかく本を刷りたくてしかたなく、編集者もノルマを抱えていたので、「短い期間で、原稿を書き上げてくれる」著者はありがたがられたことでしょうし、実際仕事も回ってきたでしょう。それで初版部数の印税はもらえたわけです。

もちろん、そうした本が増刷される見込みは薄いので、著者としては計算が働きます。どうせ初版分の印税しかもらえないなら、工数を減らした方が得だ、という計算です。

つまり、どんな原稿であっても初版分の印税しかもらえないなら(=初版分の印税はもらえるなら)、半年かけて本を書き上げるよりも、二ヶ月でちゃちゃっと書き上げた方が「時給」は上がるわけです。

それはそれで一つの「ビジネスモデル」ではあるでしょうが、私が目指したい方向ではありませんし、そもそも実売ベースが基本のセルフパブッリングではそもそも成立しないやり方です。薄い原稿を大量生産しても、仕方がないのです。

ようするに、自分が十分に納得いく本を、今までよりは早く完成させられるようにすること、という微妙なラインが手の打ちどころになってきます。

■アウトプット・ワークフローの確立

というわけで、「健康維持」と「売上作り」について分析してみました。その上で、私が具体的に実施すべきなのは、どのようなことでしょうか。

一つの指針として、「アウトプット・ワークフローの確立」を考えています。

まず、「本」というアウトプットを増やすことが一つの目標ですが、かといって単純に作業量を増やせばいいわけではありません。それは「健康維持」の目標と真正面からぶつかります。「もっと作業をたくさんしよう」というのでは本末転倒になってしまいかねません。

また、アウトプットを増やすためには作業の「効率化」が必要ですが、クオリティーが落ちるところまでそれを進めてしまうのもまた違う、というのは先ほども確認しました。何を効率化して、何を効率化しないのかの先引きが必要です。

よって、まず全体としての時間の使い方を再確認すること、その上で作業と休憩と運動のバランスをとること──これが一つ目の目指すところです。

その上で、「時間の使い方」をより「本作り」に向けて集中させていく、というのが二つ目の目指すところです。

これまでも私はたくさん文章を書いてきましたが、それらはそのときそのときの思いつきで生まれ、連続的ではなく散発的な内容となっています。いわば「本」というアウトプットにあまり向かっていません。

たとえば、私も相当セルフパブリッシングで本を作っている方ですが、私のアウトプット全体から見れば、まだまだその数は少ないものです。言い換えれば、私の日常的なアウトプットは、「本」に向かって進んでいません。その流れを変えていくことが、過剰な作業の「効率化」ではないルートで、「本作り」を増やすことにつながっていくと期待できます。

日常的なメモや記事を、「本作り」を意識して行うこと。あるいは、「本」に接続できるような環境を整えること。それが「アウトプット・ワークフローの確立」が目指すところです。

幸いなことに、先日から始めた「業務記録」の習慣が、私のメモの扱いに変化を与えようとしています。まだその完成形は見えていませんが、近々その全貌をご紹介できると思います。

■孤独対策

「アウトプット・ワークフローの確立」によって「本作り」を活性化していくのは良いとして、もう一つ押さえておきたいのが孤独対策です。これは、メンタル環境に直結しますので、どうしても外せないポイントとなります。

先日「うちあわせCast」でうちあわせした(ややこしいな)Tak.さんとの共著話も、この点が関わっています。

ひとりで執筆するよりもふたりで執筆する方がややこしい点は増えてきますが、それはどちらと言えば、パズルのような知的作業であって、むしろ楽しめる要素です。また、本作りに関しても、「できるだけ著者二人に負荷がかからない」と決めておけば、過剰な作業拡大は避けられます(あるいは、そうであると予想できます)。

その上で、原稿を書いていて困ったところなどは、共著者に「これってどうですか」と気楽に相談できるようになります。なんといっても同一のプロジェクトを進めているパートナーなのですから、相談することは仕事の一部と言えるでしょう。逆に、どれだけ仲が良い人でも、そのプロジェクトにぜんぜん関係ない人に気楽に相談するというのは、なかなかハードルが高いものです。

その意味で、今回の共著は相談相手を得ることで、孤独でないやり方で本作りを進めていく一つの実験でもあります。

さらに、今メインで進めている『僕らの生存戦略』は、どう考えてもあと数ヶ月では完成する見込みはないので、もう少し短時間でアウトプットを生み出せるプロジェクトを並行で進めることで、アウトプットの数を増やし、また自分なりの達成感を得られるようにする、という企みもあります。

■下読みの協力

もう一つ考えていることとして、これは以前からも言及していますが、『僕らの生存戦略』の下読み(レビュー)をしてくれる人を募集しようと考えています。

規模ややり方などはまったく未定ですが、編集者不在のセルフパブリッシングの中で、「原稿を書き、読んでフィードバックをもらう」という体制を作ることができれば、一人で行き詰まってどうしようもなくなっている、という事態を回避できるのではないかと想像します。もちろん、本のクオリティアップにつながることも間違いありません。

でもって、それは『僕らの生存戦略』に限らず、中規模以上の本に関しては続けて実施していきたいとも考えています。その意味で、ある程度やり方を固めていく必要はあるでしょう。

■+αのこと

さらに発展的に考えていることとして、何かしらの「集まり」を持ちたいな、という意識もあります。

別段セミナー講師を本業としたいわけではありませんが、コミュニケーション・情報共有・問題発見のための集まりみたいなものはあってもいいかもしれません。そういう場で「外部」と接することは、私の本作りにおいても良い影響をもたらす気がします。少なくとも、孤独対策にはなってくれるでしょう。

その点に関しては、リアルの(つまりオフラインの)集まりだけでなく、ネット上の集まりであっても良いのではないかとも感じます。

週に一回とか二週間に一回などペースを決めておき、適当に集まって「ダベる」ためだけの場を作っておく。そういう環境であれば、先ほど言及した「直接関係ない人に原稿の相談をちょっとしてみる」というのもやりやすくなるのではないでしょうか。

さすがに、突然メールで「この原稿で詰まっているのですが、何かアドバイスをいただけますか」と依頼されたら、言われた方も「お、おう」と身構えてしまうでしょうが、雑談の中で気楽に交わされるやり取りなら言う方も、言われる方も方の力を抜いていけます。でもって、案外それだけでも孤独は解消されるのだと予想します。

ただし、これは「場」を維持していくために一定の労力が必要となってくるので、あくまで位置づけとしては「発展的」なものとして、現状の優先順位は高くありません。まずは、自分の執筆周りを固めていくのが先決です。

とは言え、「読書会」があるならば、「執筆会」なるものがあってもいいでしょう。パブリッシャーが集まって、わいわい盛り上がるだけの会合は、それはそれで楽しそうです。

今のところ、セルフパブリッシャーが集まるslackは作ってあるので、それを拡大していく方向にするのか、あるいはそれこそnoteのサークル機能を使う方向にするのか、いろいろ施策はありそうですが、その辺はアイデアを楽しみながら考えを進めていきたいところです。

■おわりに

というわけで、この仕事を続けていく決意と、そのために今後取ろうと思っている施策についてざらっと書いてみました。

なんにせよ、今は何かを変えていくタイミングだと感じています。「自分の仕事」を守るために、起こすべき変化を起こす。これまでのやり方に固執せず、しかしこれまでの価値観は捨てない。そういう模索を続けていく所存です。

(おわり)

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