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日常的な記録について/PoICの4種のカード

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2019/10/14 第470号

はじめに

はじめましての方、はじめまして。 毎度おなじみの方、ありがとうございます。

台風19号はえらいことになっていたようです。

関西の私が住んでいる地域では、川の水が「ちょっとやばい」くらいまで上昇しただけでしたが、関東ではかなりの被害が出ていたとのこと。

ただ、現状まだメンタルがダウン気味なのであまりニュースはチェックできていません。皆様もご無事だと良いのですが……。

〜〜〜そりゃ燃えるよね〜〜〜

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 作家・百田尚樹さんの小説を宣伝する新潮社のキャンペーンが、わずか2日で中止になった。何が起きたのか。
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 同社は4日、7月発売の百田さんの小説「夏の騎士」について、「読書がすんだらヨイショせよ」などと題したキャンペーンをツイッターで始めた。「ほめちぎる読書感想文」を募集し、百田さんを「気持ちよくさせた」20人に1万円分の図書カードを贈る内容。25日までの企画だと説明した。
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なぜ「ヨイショ」という言葉を選択したのかまったくわかりません。遊び心だったのかもしれませんが、燃える要素しか見当たらないと思うのは私の気のせいなのでしょうか。

とは言え、少なくともこの事件で、新作小説の知名度が増えたことは間違いないでしょう。それで売れるかどうかは別として、存在を知ってもらえなければ買ってもらう判断すらしてもらえないことを考えれば、知名度アップは重要な要素です。もちろん、売上げだけがすべてなのかと言われたら、答えはノーなわけですが。

もちろん、こういう「燃えたもの勝ち」な風潮は、はるか昔の出版ビジネスから存在したわけなので今さら感はありつつも、その燃え方が近代と現代では大きく異なるのだろうなと思います。

〜〜〜誰が書く記事〜〜〜

以下の記事をご覧ください。

至って普通の速報記事ですが、よく見るとこんな文言があります。

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 決算サマリー自動生成について
 企業がネット上に開示した決算発表資料から業績データやポイントを人工知能(AI)技術を使って自動で文章を作成しました。
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なんとこの記事は、AIによって自動的に書かれているのです! と大げさに驚いてみましたが、記事の内容をみれば「まあ、そうだろう」とすぐに納得できます。

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 ファミリーマートが9日に発表した2019年3~8月期の連結決算(国際会計基準)は、純利益が前年同期比25.6%増の381億円となった。営業収益は前年同期比17.4%減の2654億円だった。
 開発面としては、2018年度に不採算店舗の整理を実施したことで閉鎖店舗数が減少している。
 2020年2月期は純利益が前期比10.2%増の500億円、営業収益が前期比14.9%減の5250億円の見通し。
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これくらいの記事ならAIですぐさま書けてしまうわけですね。なんとなく、アフィリエイト目的の記事なんかも、同様に書けちゃいそうです。

もちろん、人間が書いたら、もっと情感たっぷりとか、脇道的な情報を添えることも可能ですが、そもそもこうした速報ではそのような情報は(たぶん)求められていません。むしろ、AIが簡潔に書く記事の方が情報の利用には最適なのでしょう。
※同じ記事を人間が書こうとしたら、むしろ一定の訓練が必要になりそうです。

「AIが記事を書く」という話は前々から耳にしていましたが、こうして普段自分が読んでいる新聞に、ごく当たり前に記事が並んでいるのを見ると、ちょっと驚く感じがしました。時間が経てば、誰も驚かなくなっていくのでしょうけれども。

〜〜〜悲しい二つのニュース〜〜〜

ご冥福をお祈りいたします。

〜〜〜WorkFlowyの潔さ〜〜〜

Dynalsitはめっちゃ便利です。機能もたくさんありますし、それ以上にユーザーが欲している機能がどんどん追加されているその傾向が評価できます。

しかし、そうしてDynalistが便利になればなるほど、WorkFlowyの潔さを思い出さずにはいられません。

たとえば、今R-styleでDynalistの解説記事を書いているのですが、当初思っていたよりも随分長くなってしまいました。当然のことです。機能がたくさんあればあるほど、それを紹介(理解)するための知識も増えていくのですから。

サービス開発当初から利用している人は、新しく追加される機能を差分として理解すればOKですが、今日から始めますという人は、それまでのすべての機能を一気に把握しなければなりません。そうなると、あまりに多い機能の前に圧倒されてしまうこともありえるでしょう。

その点WorkFlowyは、アウトライナーの基本的な操作を説明すればそれで終了です。それ以上にも、それ以下にもなりません(それだって、十分多いのですが)。これはスタートを切るという観点から言えば、実に望ましい状態です。

きっと、Dynalistはこのままバージョンアップを続けていくでしょう。そしてそのたびに、初心者には取っつきにくいアプリになっていくのではないか、という心配をしております。

〜〜〜借り決めだったもの〜〜〜

かなり久々に、『僕らの生存戦略』のアイデアメモを見返していました。そして、ふと気がつきました。別に『僕らの生存戦略』は『僕らの生存戦略』じゃなくたっていいんだ、と。

ちょっと意味がわからないと思うので解説しておくと、自分が書こうとしているあるテーマ(≒『僕らの生存戦略』)は、別に『僕らの生存戦略』というタイトルでなくても構わないし、今自分が構成しようとしている形でなくたって構わない、ということです。

自分が伝えたいたった一つのことを伝えられる形であれば、それがその本の形になります。

いつのまにか、そのことを忘れて、幻の『僕らの生存戦略』に拘りすぎていたのかもしれません。今のところ、そんな感触を覚えています。

〜〜〜今週見つけた本〜〜〜

今週見つけた本を三冊紹介します。

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 人はいかにして他人に影響を与え、他人から影響を受けているのか。名門大学の認知神経科学者が教える、とっておきの“人の動かし方”。タイムズ、フォーブスほか、多数のメディアで年間ベストブックにノミネート。イギリス心理学会賞受賞。
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 (内容紹介なし)

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 20世紀文学の金字塔である、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』。
ところが、その難解さと長大さゆえに、最後まで読むのは至難の業。途中で挫折した人は数知れず。そんな難攻不落の大傑作を制覇する道しるべとなるのが本書です。
全7篇のうち、第1篇「スワン家の方へ」を丹念にひもときながら、全篇を読み通すヒントを紹介します。
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〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のウォーミングアップ代わりにでも考えてみてください。

Q. WorkFlowyとDynalsit、どちらが好みですか?

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今週は、やや長めの記事を二つでお送りします。

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2019/10/14 第470号の目次
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○「日常的な記録について」 #エッセイ

○「PoICの4種のカード」 #メモの育て方

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

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○「日常的な記録について」

普段、思いついたことは小まめに記録しているのですが、行動の記録についてはあまり意欲的ではありません。一応デイリータスクリストが行動ログにはなっているものの、タスクにならないような行動・情報についてはほとんど記録なしの状態です。

しかし、最近体調不良が続き、ろくに作業もできなかったので、代わりに日々の記録を付け始めました。最初使っていたのはEmacs(+org-mode)です。

ここに体重・体温だとか、思ったこと・感じたことだとか、運動・ストレッチの記録だとかと書いていました。

しかし、次第にパソコンの前に座っているのもしんどくなってきたので、記録の装置をiPhoneに変えました。iPhone+音声入力ならば、話すだけで記録が取れます。ただ、少し悩んだのはアプリでした。どのツールで記録を取るのか。

ややこしい機能は必要ないので最初は標準アプリの「メモ」を使おうかと思いました。ただ、記録時のタイムスタンプ(たとえば18:20)を入れるのが若干手間なので断念。その後、いろいろ試していくうちに、FastEver 2がその用途にピッタリだと思い至りました。

■一日分のFastEver

使い方は変則的です。普通、FastEverは、メモを入力したら即送信を押しますが、今回の私の使い方ではそれをしません。アプリを立ち上げ、タイムスタンプを挿入し、記録を書いたら(あるいは吹き込んだら)、送信せずにそのままアプリを終了します。で、次回入力時は、前回の入力から続けるのです。そうやって一日分の記録を一枚のノートに残していきます。

次の日になったら、アプリを立ち上げて「送信」を押せば、新しいページが作られるので、またそこにどんどんと追記していく。そういうやり方です。

一日の記録は一枚のノートに集めるので、タイムスタンプに年月日は必要ありません。時間と分だけを挿入できればOKです。FastEverはそのカスタマイズが簡単にできるのが魅力でした。あと、普段から使い慣れていてiPhoneのドックに入っていたのも選考の大きな理由です。

運動したり、食事したり、何か考えたことがあったら、FastEverを立ち上げて、タイムスタンプを挿入し、そして音声入力。これでずいぶん簡単に一日の記録が取れるようになりました。周りに人がいるときは厳しいですが、今はだいだい家にいるか、散歩で田舎道を歩いているだけなのでまったく問題ありません。

■懐かしい感覚

そうやって一日の記録を貯めていると、ずいぶん懐かしい感覚を覚えました。そういえば、ほぼ日手帳を持ち歩いていたときは似たようなことをしていたのです。そこには、いわゆる「アイデア」的なものも書き込んでいましたが、どこそこに行ったとか、今日の日経平均株価はいくらだったとか、そんな些細な記録も一緒に書き込んでいました。

それがほぼ日手帳を使わなくなり、だいたいの記録をEvernoteにまとめるようになって、日々の記録は失われ、残されるのはアイデアメモだけとなりました。

これはたぶん、Evernoteが「追記」が難しかった点も影響しているでしょう。「20分散歩をした」という一枚のノートがinboxに入ってきてもなかなか扱いに困るものです。それはぜひとも「一日のノート」に入れ込みたいのですが、そうした追記がEvernoteでは簡単ではありません。だから私も今変則的にFastEverを使っているのですが、この辺がEvernoteの一つのネックだというのは以前も書いた通りです。

ちなみに、FsstEverでは送信したノートを閲覧できるので(編集はできません)、昨日や一昨日の記録をFastEverから振り返ることもできます。この点もFastEverの魅力の一つです。

■ダラダラ話すこと

以上のように、簡易に日々の記録を残せる体制が整いました。特に、散歩しながらのボイスメモはなかなか捗ります。普段なら原稿のアイデアを吹き込むところを、現状は自分の体調や今後についての思いを吹き込んでいます。それが結構、バカにならない量になるのです。

なにしろ喋るのは簡単です。しかも他人が聴いているわけではないので、理路整然と喋る必要すらありません。言葉は次から次へとあふれ出てきます。この点が、ほぼ日手帳との違いでしょう。たとえ、大きいサイズのカズンを使っていても、一日ページに書き込める量には限りがあります。そこでは、どうしても選別が働き、抑制が効きます。

しかし、FastEver(+Evernote)と音声入力なら量を気にするような必要はありません。思いの丈を、みっちりきっちりと一枚のノートに収めることが可能です。

それはそれで結構なことではないかと思われるかもしれません。少なくとも、私はそう思っていました。が、切々と入力されたその長文記録は、一日経って見返すと、非常に邪魔です。というか、読み返そうという気持ちにすらなりません。なにせ読み手を意識した文章ではないので、ただひたすらに読みにくいのです。

仕方がないので、若干本末転倒的ですが、たとえば体重や体温など時系列で眺めたいデータなどは、小さい(手書き)ノートにピックアップすることにしました。一日分に二行あて、そこに体調関係の数字と食事、イベントや運動などを簡単にピックアップするのです。

そのような抽出データを作成してみると、いろいろなことがわかります。徐々に体温が上がってきていることとか、筋トレした次の日、あるいはその次の日に筋肉痛がやってくることなど、単発のデータだけを見ていたのではわからないことがわかるのです。

なんとなくAI的に、私が記録した一日分のデータから大切なものだけをピックアップして別枠で表示してくれる、みたいな機能があったら嬉しいのですが、さすがに現時点ではそれは望むべくもないので、まずは音声入力で一日分の記録を作り、そこから後でデータを抜き出した手書きノートを書く、という二段階のステップを踏んでいます。

■注意と記録

以上のような記録を一ヶ月程度続けていて、気がついたことがあります。それは注意と記録の関係です。

たとえば、右肩が痛かったとしましょう。で、右肩が痛いと気がついた瞬間にそれを記録することになります。痛みに注意が向き、記録が発生します。

では、次の日、右肩が痛くなくなっていたいたらどうなるでしょうか。痛みがないということには、注意が向かないので、「右肩は痛くない」という記録は発生しません。

このように考えると、記録が残るのは痛みがあるなどのネガティブな状況、あるいは通常と異なった状況だけだ、ということになります。「通常」は、それが普通であるがゆえに注意が向けられず、記録に残ることがありません。

しかしです。

私がもし昨日の記録を読み返したとしたらどうなるでしょうか。「右肩が痛い」という記録に気がつき、それと対比する形で今自分は右肩が痛くないことに気がつけます。つまり、「普通」に注意が向けられるのです。

この記録と注意の関係を頭に置いたまま、ダルマ落としのように記録だけをドンっと取り払ってみましょう。すると、どうなるでしょうか。そこに残るのは、ただ注意だけです。つまり、「気になったこと」だけで構成される世界ができあがるのです。それは言い換えれば、「異常」な出来事だけで構成される世界でもあります。

もちろんこれは、極めて極端な話をしています。しかし、私たちの注意に一定の傾向があることは間違いないでしょう。その人の性格によっては、良いことばかりに偏るのかもしれませんし、悪いことばかりに偏るのかもしれません。どちらにせよ、偏っていることはたしかです。

記録というものがあれば、その注意の向け先を少しずらすことができます。もう少し言えば、記録を振り返るとき、「異常ではない現状」に注意を向けることができます。これは記憶の効能として特筆すべきものでしょう。別の言い方をすれば、自分が何に注意を向けていたのか、という記録もまた情報として意味を持つわけです。

■別の方法

別の観点から考えれば、注意を向ける対象を注意のままにまかせず、一定のルーティーンに落とし込んでしまう手もあります。駅員さんの指差し確認がその好例でしょう。何があろうと、指差し確認は行われます。つまり、自然な状態では注意を向けない対象に、半ば強制的に注意を向けているのです。

このことを、体調に引き戻してみれば、朝起きたときに各部位のチェックをすれば、痛い場所だけでなく、痛くない場所にも注意を向けられるでしょう。それはそれで違った世界の捉え方ができるかもしれません。

ちなみにこの話は、「ニュース記事になる出来事は極端なものが多い」というメディア論(※)にも絡めていけそうですが、さすがに話が大げさになってくるので、今回はここまでとしておきます。
※つまり、身体と意識をメディア論として捉える、ということです。

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