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『人を賢くする道具』「第4章 アーティファクトを人間に適合させる」のまとめ

概要

本章では、まずアーティファクトが何を為しているのかが確認され、そこからいかなるアーティファクトがうまく機能するのかが検討される。他の章と同様にさまざまな話が列挙されているので端的にまとめるのは難しいが少しずつ読み解いていこう。

まず、アーティファクト(簡単に道具と理解していい)はそれを所有したらたちどころに問題が解決するというものではない。その道具を人が使ってはじめて効果が発揮される。ここでは単なる「使用」以上の「使う」が想定されている。つまり、人と道具が別個にあって、その道具が問題を片付けてくれるという構図ではなく、人と道具のセットからなる系が問題を解決するという構図だ。

そうなると、人と道具がどう接合するのかが問題となる。これがいわゆるインターフェース論へと接続するわけだ。

で、そのインターフェースの最たるものが表現である。たとえばどんな見た目をしているのか。その知覚情報によって、私たちはその道具を理解し、さらには「どう使うのか、どんな役に立つのか」という推測へとも繋げていく(これがアフォーダンス)。

アナログ(実物)については、その表現はだいたい内実と一致している。あるフォルダにファイルがいっぱい入っていたらパンパンに膨れた見た目になる。つまり表層的な表現がほぼすべてである。その奥に隠されたものはない(永田希のブラックボックス論が思い出される)。

一方で、デジタルツールは、表層的な表現(いわゆるUI)の奥に実際のデータが存在している。たとえばEvernoteは、一つひとつのノートを操作する感覚だが、実際は単一の巨大なデータベースが背後にある。しかし、そのデータベースはユーザーから見て隠蔽されている。内部的な表現というわけだ。

逆に言うと、内部的なものを人間が使うためには設えられた表層表現が必要で、それがうまくデザインされていないと利用において不都合が生じる。つまり人と道具による系が形成されにくくなる。それが問題だと著者は見ているわけだ。で、そのデザインを論じるのがインターフェース論である。

そうした観点を検討する上では道具ばかりを見つめていても仕方がない。人間がどのように表現を受けとるのかという点を検討する必要がある。

そもそも人間は高度情報化社会を生きるために進化してきたわけではない。小さなグループの中でコミュニケーションと仕事を行い、成果を上げる生物として進化してきた。豊かで変化の多い社会的環境が前提だったと言える。そうした人の性質について著者はこう述べる。

見つけ出すことのできる関連は、どんなものでも利用できるし、解釈を発明することもできる。

『人を賢くする道具』

人は原因を求めるし、物語も作る(この二つはコインの裏表である)。そうした能力には秀でているのだが、コンピュータ的な情報処理はたいして得意ではない。役割分担としては非常に適切だが、コンピュータ的な情報処理に人間を合わせようとするときに悲劇が起きる。

必要な話はまったく逆なのだ。人間の知覚の特性に合わせて、コンピュータの表層表現を合わせること。それがインターフェース(接面)である。片方に人間がいて、もう片方に内部構造を持つコンピュータがある。その二つをつなぐものが100%コンピュータに肩入れしていては役割が果たせない。人間に合わせることではじめて二つを橋渡しできるようになるのだ。

人間は表現されたものによってその処理の仕方を変える。たとえば、問題の構成によって抽象的なレベルでは同一の問題でも難易度が変わってくる。万能の情報処理マシーンではなく文脈ごとに対処が変わってくるコンテキストベースの生き物なのだ。

もしテクノロジーが人間に訴えかけるものと、発揮できる人間の能力が一致しているなら、そのタスクは円滑にこなされるだろうし、そうでなければ悲惨な結果になる。人間とテクノロジーの両方に目配りすることが必要なのである。

というのが第四章の内容のまとめ。

第三章のまとめは以下。


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