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たとえばそれが、誰かのことばだったとしても

誰かからおくられた何気ないひとことが、心にずっしりと残る経験をしたことがある人はどれくらいいるんだろう。


大掃除をしていたら大切なものを仕舞ってある箱と久しぶりに対峙して、これ、大掃除の手がとまるダメなパターンの典型やん、と苦笑しながらある手紙を手に取った。

5回の引っ越しを繰り返すなかでも手放すことのなかったその手紙は、大学生の頃の記憶の引き出しをいとも簡単に開いてしまった。

    * 

手紙の主は産科の実習で担当させてもらった、切迫早産で入院されていた花山さん(仮名)。
当時のわたしよりひとまわりくらい歳が上で、医療系の仕事をされている、眼鏡の似合う女性だった。

受験で受かったところが看護学科だった、といういい加減な理由で進学したわたしは、看護師になりたい訳じゃなかったのにな、という思いをこじらせ続けていた。
そんな状態での実習は、なかなかの苦行だった。患者さんの身体で何が起こっているか、心はどんな状態か、社会的にどんな立場か、それらをまるっとアセスメントをしたうえでどんなケアをするか計画を立てて実践することで、実習は成立する。それなのに自宅での勉強も捗らず、まわりからはやる気がないように見えていたことだろう。

実習の指導を担当してくれる看護師は、人によっては当たりがきつく、何を報告するにも相談するにもずっとびくびくしていた。
指導する立場になってからわかったのだけど、看護師の仕事はその日の状況によっては、息つく暇がないくらいに忙しい。実習生の指導というのはそれに+αで乗っかってくる仕事だ。
患者さんのことが優先されるのは当たり前だし、やる気のない学生への風当たりがきつくなるのにうなづける部分もある。そりゃ看護師だって人間だもん。

加えて、産科実習の担当教員と、どうにもそりが合わなかった。
実習における教員というのは、安全基地みたいなものだ。わからないこと、困ったこと、辛いことそんなものを共有しながら、自分で学習してコミュニケーションとれるよう、そっと導いてくれるような存在だ。
それが機能しなかったことは、他力本願で生き延びていたわたしには大きな痛手だった。


そんな実習中のある日、動けないほどの酷い生理痛に見舞われ、実習を休んだ。自分の所在のなさが連れてきたものかもしれない…そんな風に思っていた。
いつまでも自分が進みかけた道に対して前を向けなくて、そのくせ道を外れる踏ん切りもつけられなくて、おまけにその道を進むのに最低限の義務も果たせない自分。
その日はただただこたつに潜って、いろんな気持ちがないまぜになった感情をお腹に抱えながら丸くなっていた。

花山さんの笑顔はいつもやさしくて、話す姿は穏やかで、会って話をすることに苦痛に感じたことは一度もない。
ただ、その頃の目線は彼女ではなく自分に向いていて、貴重な実習の機会だったというのに何を話したのか何を伝えたのか、全く思い出せない。


実習の最終日、お別れのときに花山さんから手紙をいただいた。

2週間の実習お疲れ様でした。
お陰で退屈な入院生活も楽しく過ごす事が出来ました。
 (中略)
今は看護師の卵として、私のお腹のあかちゃんのように周りの多くの人々からたくさんの栄養を受け取り、大きく成長しているところですね。
たくさんの栄養を吸収して、あと1年半後、立派な看護師の誕生を心待ちにしています。必ず殻を破って出てくるのよ!
これから先、学生生活だけでなく社会へ出てからも辛いことの方が多いと思います。しかし絶対楽な道を選ばずに大変なことに挑戦していって下さいね。
 (中略)
今のような笑顔があれば何でも成功しますよ。がんばってくださいね。
わたしも2つ目の大切な宝物を無事に自分の手に抱けるようにがんばります。
本当にありがとうございました。

学生控室で手紙を読んで、静かに涙がながれた。

    *

彼女の前では、いつも笑っていたつもりだ。
だけど彼女はきっと、わたしが実習を辛く思っていることを見抜いていたのだろう。もしかしたら、いろんな想いを燻ぶらせていることすらも、なにか感じとっていたのかもしれない。

“必ず殻を破って出てくるのよ!”

穏やかな雰囲気の彼女が綴る言葉の中で、いちばん力強く熱のこもった一文に込められた想いは、ずっしりとわたしの心に刻まれた。

実習が楽になることはなかったし、結局就職してからもしばらくはこんなつもりはなかったのにをズルズルと引きずってはいた。
それでも、受け持たせてくださった患者さん達のやさしさを踏みにじりたくない、せめて看護師になるという形で責任を取りたい、と思うくらいには力づけられていた。

二人目の出産で、お子さんを家に残して、安静が治療の入院。お腹の赤ちゃんが無事に産まれてきてくれるのかという不安も、お子さんの側にいられない寂しさも、家のことを出来ない不甲斐なさも、いっぱいいっぱい抱えておられたはずなのに。
検査が立込む朝や実習生のいる昼を避けて、静かな夜の貴重な時間を割いて、書いてくれたんだ。

同じ医療系の職種だった彼女は、葛藤を抱えながら働く後輩たちを見守り励ましてきたのかもしれないし、後輩たちの姿にわたしを重ね合わせてくれたのかもしれない。
わたしたちの間に、その後の人生で交わる確率はいったいどれくらいあったのだろう。そんな関係性のなかで、いったいどれくらいの人が真剣に向き合ってくれるんだろう。

立場が変わった今だからこそ、そんなことにも思いを馳せては胸が熱くなる。

あのとき崖から転げ落ちそうになっていたわたしの手をとって、ひきあげてくれたのは間違いなく彼女だったし、彼女が綴ってくれたことばを糧にして、わたしは殻を破ることが出来た。

    *

相手のことを真剣に想って紡ぎだされたことばは、人の心を動かす。
たとえばそれが、今後の人生において交わることのない誰かのことばだったとしても。

そのことを教えてくれたのは、彼女だった。

自分の真ん中にその経験があるからこそ、わたしは患者さんと対話することを諦めたくないし、ここにことばを綴り続けているのかもしれない。

ここまで読んでくれたあなたは神なのかな。