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「ありのままvs成長」の問いに自分なりの解が出た

「ありのままの自分を大切にすること」と「よりよい自分に成長すること」が、なんとなく相反するような気がしてしまっていました。

でも、どちらも大事。
それはその人が幸せに生きていくためにも、さらには人々みんなが幸せに生きていける世の中であるためにも。

そうは思いつつ、私は他者に対して、その人のありのままが美しいなぁと思うことが多い。好きなとこ、やりたいこと、イタズラっぽく話すこと、真剣なこと、一生懸命なこと、そんな素朴な内面が溢れるような場面に立ち会うと、子どもでも大人でもキュンとするのです。

ただ、ありのままだけでは生きていけないことも最近痛感していて、成長の必要性もきちんと感じています。でも、成長について話をする時は、ちょっと背伸びをしている感じ。こういう学びを届けたいよねという話をしている時は、頑張ってる感があります。

ありのままも、成長もどっちも大事。人の成長を本当に心から願い応援している人を見ると、素敵だしそんな人に教えてもらいたいだろうなと思います。

‥と、ここまでを一年以上前に書いていました。
が、続きが書けず、ずっと心の中で「ありのままvs成長」の問いを反芻していたのですが、昨日、ようやく一旦腹落ちをしました。

それは、やっぱり、人はありのままの自分を丸ごと受けいれて生きられることが素晴らしいということ。そして、成長とは、その人の魂が向かいたい方向に進んでいくこと、と。こうあるべきという方向ではなく、自分の魂が生かされる方向に、一歩ずつ歩みを進めていくこと。

植物に例えるならば、
たんぽぽの種はたんぽぽにしかなれない。
チューリップにはなれない。
誰かと比較してもまったく意味はなく、たんぽぽとして、花を咲かせることに全てを集中させていく。
だからといって、種がそのまま種のままでいるわけではない。芽を出して、根っこをはって太陽と雨の恵みを受けて、ぐんぐん育っていく。
たんぽぽとしての命を、全うしていく。
もちろん全ての種が発芽して花を咲かせられるわけではないけれど、それぞれが役割を持って、命を全うする。

私たちも、
誰かと比較するのではなく、
とんでもない奇跡として生まれてきたこの命を全うしたい。この命は成長して、花を咲かせたいと願っている。自分なりの花を咲かせてあげたい。自分の子ども、家族、周りの人たち、みんながそうあってほしい。

ありのままなのか、成長なのか。
ずっと答えを出せなかった問いに答えられるよになったのは、ここ最近で自分で自分の中で無かった事にしていた痛みに向き合えて、周りの人たちにありのままで受け入れてもらえたから。

ありがとう。
わたしも私の魂が行きたい方向へ、一歩ずつ進んでいきたいと思います。


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