言葉と出会うということ



学生時代、部活動の副部長をやっていた。ある日不意に練習中、部長がプイと部屋を出て行ってしまった。誰もが驚いたし、私も驚いたし、しかし練習を止めるわけにも行かずあわてて私が指導を代わったのを覚えている。
しかしそのあとどうしたかは記憶にない。腹が立って部長を叱り飛ばしてやろうと思ったことだけは確かなのに、きっと説得すら出来なかったのだと思う。部員と部長との間で立ち回り方が分からずひどく落ち込んだ。学校に行くのがいやで重苦しい気分になり、どうしたらいいか分からなくなった。
数日後、登校中何気なく聴いていた小田和正の歌の「それでもまた始まろうとしている その時を待っていたように」というフレーズが突然胸に刺さった。急にその言葉だけが胸にすとんと落ちてきた。これだけぐるぐるどうしようと悩んでいても、何も変わらない1日が始まるのだ、と思ったら妙にホッとして思わず涙が流れてきたことを強烈に覚えている。
大好きで何度となく聴いてきた歌のワンフレーズに不思議と救われた。辛い時、そこから連れ出してくれる言葉に出会った最初の記憶だと思う。


それは歌詞だったり、本の一節だったり、ドラマの台詞だったり色々だった。ぐるぐると気持ちがデフレスパイラルの中にいる時、ふと触れた言葉が心を安らげ突破口の糸口となる。そんな言葉たちに出会うたびに、おお、今回は君か、ありがとう、と彼らに感謝してきた。不意打ちに涙を流しながら、そうして漸く自分が思ったより追い詰められていたことに気付いた時もある。


今年は春と夏がなくて、秋と冬しかない年だった。
年の初めの頃には旅行に行ったりあれこれ予定を立てたり楽しい思い出もあるのに、3月あたりから8月ごろまで、正直あまり記憶がない。
先日テレビで星野源の「うちで踊ろう」を聴いて、これを聴いていた時はそういえばずっと家にいて、やたら家を片付けようとしていたりやたら凝った料理をしようとしていたなとその時の気持ちや香りや光景が断片的に蘇って少し苦しくなった。


そんなあの頃私が出会った言葉は、「宇宙戦隊キュウレンジャー」の主人公ラッキーの口癖「よっしゃラッキー!」だった。ネットに溢れる棘のある言葉や、悲劇的なニュースに参っていた時だった。

キュウレンジャーは、特撮を見るようになったけれどそういえばライダーが多いな、とうち時間が増えたことをきっかけに見始めた。
明るい彼はどんな状況でもこの言葉を口にし、それが結局良い結果を連れてくる。見ている私が置かれていた情勢は決してラッキーではなかったけれど、そうやって幸運を掴み宇宙を救っていく彼の姿は眩しくて、私も呟いては少し力を貰ったような気持ちになった。口癖ひとつで、目の前の嫌なことを乗り切れるような気がした。
SNSでは「ヒーローが子供たちを元気にする」といったタグで各ヒーローたちが子供たちにメッセージを送っていた頃で、私のような大人も素敵なことだなぁと思っていたけれど、なるほどヒーローとは放送が終わっても誰かを助けてくれる存在なのだと改めてその力を実感した。そういえばあと1日2日で特撮を好きになって2年になる。あまりにも若輩者ではあるけれど、これからも片隅で応援したいと思う。


昔は本を読むことが好きだった。読み始めると一気読みをするくせがあって漫画本なんかは一冊下手したら10分かからず読破してしまい残念な気持ちになるし、最近は通勤路が変わってしまったのでめっきり読む量が減ってしまった。
以前は歌を歌ったり聴いたりすることが好きだった。でも部屋で大きな声を出して歌うことは憚られるし、音楽に関する好き嫌いが割とある質なのか気に入ると同じ曲をずっと聴くので新しい歌にはいつまでも疎いままだ。
かつては舞台を観ることが好きだった。舞台好きの仲間と2週間あけず舞台を観ていた時もある。しかしいつしかその熱がおさまってきたなと思った頃には通常どおり公演を行うことが難しくなってしまって、手元には払い戻されたチケットのお金だけが残った。

最近はきっと新しい言葉に出会えていないのだろうなと思う。
だからこそ、新しく本を読んだり音楽を聴いたりドラマや映画や舞台を観る機会があるならばそれを逃さないようにしようと思う。どんなタイミングで、どんな言葉が自分を救ってくれるか分からないからだ。
今年はもうすぐ終わってしまう。そして来年がどんな年になるのかは分からない。けれど変わらずその時々での言葉たちとの出会いを胸に、毎秒毎分生きていけたらなと思っている。