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チューリングテストにまつわる話

今回は、哲学とか数学とかのお堅い話と悲しいお話です。

↑でご紹介したチューリングテストの件をもう少し掘り下げてみよーかなと思います。
知っておくと少々深いところまでぶくぶく潜れそうな話題をひとつ。
(実はあの本を紹介したのはこの話題を書きたかったからなのですw)

で、突然ですが、いきなりこぎとえるごすむします。そう、

「我思う、故に我あり」

かの哲学者のデカルト先生が『方法序説』でとなえた超有名な言葉ですね。

デカルト先生があらゆることを疑ってみることから始めて、この世界だってあるかどうかわからない、自分が想像しているだけのバーチャル世界なのかもしれない。と疑って、あ、この疑ってる自分は(たとえ世界はバーチャルでも)とりあえず存在するんじゃない?

っていう着地点を得た。という話(超てきとー意訳です)なわけですが。

でも、

自分は(疑うことができると)信じられても、他者については何もわからないまま。

なんですよね。
相手が何を考えているかわからないなんてあたりまえで、他人の中に、本当に「思考」「意思」はあるのか、「心」はあるのかは決してわからないのです。
あなたの隣にいるのは人間の形をした生化学的ロボットのプログラムされた反応なのかもしれません。(哲学的ゾンビというやつ)
そこのところを、究極的な意味で立証できた学者は、ワタシが知る限りいなかったりします。(誰かいるようでしたら教えてください)

そもそも人間の脳が感じている体外の事象は、すべて身体のセンサーが受け取った信号を脳が情報処理して作っている脳内イメージなのだからして、実際のあなたは脳みそだけぷかぷか水槽に浮いているマモーさん状態なのかもしれないし、そもそもコンピュータプログラムなのかもしれないし、マトリックス世界の夢の中なのかもしれないわけです。

そして、

自分のことだって疑うことでようやく信じることしかできないのに、どうやって他人が「私はこういう人間です」と言う言葉が言葉のまま信じられるだろう?

という相互確証不理解とでもいうべき状態になり、猜疑連鎖に陥ります。
そんなことになったら日常生活も社会生活もできやしません。広くて暗い宇宙でただひとり、外部とやり取りを一切しない引きこもり人生というのが生存への最適解(by『三体Ⅱ』(ちょっとちがう?w))になってしまいます。

なので、普通、ヒトは、「自分もこうなんだから相手もきっとこうだろう」とあいまいに相手を信じることで、ひどくテキトーに、相手も思考する生き物で、心がある(にちがいない)と考えています。

それを、もっとはっきりと知れないと安心できない! と言う人々に対して、ようやく数学界からそれっぽい判定法(ゲーム)を提示した学者があらわれました。1950年のことです。

そう、チューリング先生の登場です

というわけでようやく「チューリングテスト」の話なんですが、このテスト名、実際にはチューリングさんの命名じゃないようです。元の論文にかかれた「イミテーション・ゲーム」というゲームの意味がいつの間にか博士の名前とすり替わって、チューリングテストという名称で広まっていったようですね。

もとになった論文はコレといわれています。

"COMPUTING MACHINERY AND INTELLIGENCE"
https://www.csee.umbc.edu/courses/471/papers/turing.pdf

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直訳すると、「コンピューティング機械とインテリジェンス」。

このなかでイミテーション・ゲームというゲームが提案されています。

そのゲームは、男性、女性、質問者の3人によって行われ、2つの部屋のどちらに男性と女性がいるかを、2つの部屋の外から質問者が当てるというゲーム。
イミテーション・ゲームというわけですから、男性は女性のふり(イミテーション)をしたりして、質問者を混乱させます。(もちろん声音では分かってしまうので、文字をつかったやり取りです。ここらへんが今のチャットになるわけですね)

そして、30%以上の確率で「この部屋の住人は男性」と判定できたら、その部屋の中にいるのは男性と見なして良いだろう。と。

で、このゲームをコンピュータが男性のふりや女性のふりをして行なったらどうなるのか。30%を超えたらコンピュータも男性や女性と見なしてよいのではないか。では、コンピュータも人間同様、思考しているとみなせるのではないか。

というのがそもそもの論文なのです。

かなり強引に「思考しているとみなせる」と言っていますが、そもそも自分以外の「人間」すら本当に思考しているかどうかは証明できないのは、先ほどのデカルト先生のところでも書いた通り。相手の出してくる文字がプログラムされたアルゴリズムの結果なのか、人間が考えた結果なのか、その出力からは見極めようがない。というのが本当のところ。なので、ある程度いい線までいっていたら「そう見なしちゃおうよ」という話です。

もちろん、人工知能系の思考実験として大変重要で意義深い論文だとはおもうのですが。

でも、これ、「コンピュータ」というところは、論文にするために、なんだか無理やりとってつけたような気がワタシにはするのです……。

なぜって……。

そう、アラン・チューリングは、同性愛者でした。

そして、当時の英国では、今ではとても信じられませんが、
同性愛は犯罪だったのです。

ホモもBLも百合も全部だめ! ありえませんね!(ぷんぷん!)

というわけで、彼は周囲から同性愛者だとは見やぶられないように、常に「イミテーション・ゲーム」をしつづけていたわけです。

けっきょく本質などは他者にとっては興味がなく、他者からどう見られるかですべてが決まる。

擬態を見破られない事、男のふり、女のふりをする事、ヒトのふりをする事、そして他者から知能があると見られる事こそが知能をもつ証明である。と、論文にした、彼の心境はいかばかりだったのでしょう……。

そして、この論文を出した1950年の2年後、ついに同性愛の罪(風俗壊乱罪)で警察に逮捕され、強制的に生化学的治療を受けることに。長年演じつづけたイミテーション・ゲームに失敗し、人生に絶望した彼は、さらに2年後には青酸入りの毒リンゴをかじって自ら命を絶ってしまったとのことです……。(Appleマークの由来だという俗説もあったり)

🍏

と、ゆーわけで。

ワタシの中でのイギリスに対する偏見は、このアラン・チューリング博士への扱いによるところ大なのです。(イギリス人さんごめんなさい。モンティ・パイソン大好きです)
今回全然書かなかったですが、この方、お国のためにUボートの暗号解読とかめちゃくちゃすごいこといっぱいした超天才なんですよ! 嗚呼それなのにこの仕打ち! ほんとヒドイわー><

いつの日か、彼のお墓にお参りすることができたら、
墓前にお花を添えて

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と力説してきたいとおもいます。
(迷惑)
南無……(ー人ー)

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