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人の顔を覚えられない、について思うこと

人の顔を覚えるのが少し苦手な方だ。

とはいっても生きる上で支障は無く、仕事上困ることだってほとんどない。
仕事で出会う人々は大抵、時間や場所や状況、前回交換した名刺の存在が強力にバックアップをしてくれる。
仮に担当者の顔をうろ覚えの状態で客先を訪ねたとしても、その場の雰囲気でどうにかなる。
向こうから「〇〇さん、どうも!」と声を掛けてくれたり、(あ、たしかあの感じの顔だった)という程度の記憶で切り抜けることが出来る。

そしてもちろん、複数回会えばいくらポンコツな我が頭脳でも覚えることは出来る。

仮に「ウォーリーをさがせ」の世界に迷い込んだうえで目当ての担当者を探すことになればお手上げだが。

僕が困っているのはもっぱらプライベートな場面である。
このご時世になり頻度は激減したが、よくお邪魔するバーがある。
そのお店は知らない客同士が会話を交わしたり、カウンター内の店員さんを介して他の客とコミュニケーションを取りながらお酒を飲むような、アットホームな空間だ。

僕は他の客よりも少しだけ年上なこともあり、過去に話したことのある若いお客さんが「〇〇さん!こんばんは!」と声を掛けてくれるケースが多々あるのだ。
ここで問題が起きる。
ろくに覚えていないのだ。挨拶をしてくれた彼らの顔を。
名前すらあやふやである。
彼らは僕の冴えない地味顔と名前を覚えてくれているのにもかかわらず。

声を掛けられた以上、当然リアクションをしなければならないのだが、彼らが年上なのか年下なのか、前回話したときに敬語だったのかどうかも覚えていない。
彼らが敬語で話しかけてきている以上、おそらく年下なのだろう、と推測しかけるが、僕自身年齢に関係なく相手対し敬語を使うことはよくあるので自分自身を信用しきれない。

設定すらも覚えていないのだ。

結果、「おつかれっすー」にゴニョゴニョっとしたフィルターをかけて、「おう、来てたんだ/いらしてたんですね」のどちらとも取れるような雰囲気を孕んだ発声をして難を完璧に逃れるのだ。

なかには「この前歩いてたら××の辺りで〇〇さんのことをお見掛けしました!」的なことを言ってくる輩もいる。

もはや有名人と一般人の構図である。
相手は僕を知っているが僕は彼の事を知らない。
いや、覚えていない。
もっとも、僕は有名人でも何でもないただのしがないサラリーマンなのだけれども。

「えー、じゃあ声掛けてよー!」と気さくなおじさんのフリをして調子のいい言葉を返すが、本音を言えば声など掛けて欲しくない。

「お見掛け」して声を掛けてもらったところでプレゼントするサインもなければインスタ映えする顔面も持ち合わせていない。

本当にやめて頂きたい。
お店の中で会うならそこの客だという認識が出来るが、外で声など掛けられたらひとたまりもない。
取引先の人なのか、かつての同級生や後輩なのか、はたまた未だ両親から存在を知らされていない生き別れの兄弟姉妹なのか、分かったもんじゃない。

以上はあきらかに僕の弱点であり、恥ずべき部分である。
全て僕が悪いし反省もするし、今後は改善していきたいと本当に思っている。

それでも少しくらい甘えが許されるなら、僕に関わる彼ら全員が名前、愛称、所属、行きつけのお店を書いた紙を首からストラップで下げた状態で声を掛けて欲しいなぁ、と妄想する日々だ。

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