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2020年8月15日のメモ

マジでただのメモ。随想。

藤沢一希氏が煽り気味で指摘するように、日本が死者数ベースでも経済ベースでも中国・韓国に劣るのは事実で、それが「ある種の民意の反映」であることもまざまざと感じられたここ数ヶ月であったと思う。

〔追記: 韓国は早めにパンデミックしたので、1-3月期の下げが日本より大きい。前期比の四半期GDPでは、1-3月期でマイナス成長が大きければ、発射台が低いので4-6月のマイナスは小さめに出る、ちなみに韓国は、2期連続で通貨危機以来のマイナス成長、という旨をご指摘いただきました。中国の四半期プラス成長も、あまりに1-3月期のへこみが大きく、発射台が低いがゆえとの事。そこから大きく盛り返すことが予測されているのだろうか? ご指摘いただいた畏友に感謝〕

振り返れば西浦先生が「8割の接触削減」を提言したはずが「いつの間にか」7割ということにされていたりなど、科学が政治に負けるシーンも見たように思うし、結局「高齢者を救うために若年者が我慢する」施策になっていたり、国家からの明示的な行動制限ではなく「自粛要請」でありながら、実は「自粛警察」によるより深刻な人権侵害を引き起こしていたり、など、「日本型民主主義のバグ」を突かれまくったと感じる。

マスコミの視聴率至上主義の報道も重罪であったけれど、一方で「政府の広報とはどうあるべきか」未だに見えてこないのも事実。自分の非専門分野(飛沫についての実験など)について、例えばNew York Timesの概説記事で理解するということは起きても、本邦の新聞ではついぞそのような事は起きなかった。

自分は、スタンスとして「COVID-19の専門家は存在しない」と思っているし、「ワタシ臨床免疫チョトダケワカル」けれど感染症も疫学も法学も素人なので、露骨な利益誘導を感じるものや、明らかに「健全な科学」の範疇を超えると感じられるもの(K値やS/K/G株など)について批判的であったけれど、それ以外は「俺の窓からはこう見える」に固執してSNSでは発言してきたつもり。でも、Twitterでは随分わけわからん名前のリストに入れられたし、他の「医療クラスター」アカウントの勇み足っぽい発言を敢えてスルーすることで、特定の偏向があるものと受け止められても仕方なかったと思う。だってGold standardがシチュエーションごとに変わる状態で感度・特異度の議論しても仕方ないじゃん。
対象を絞って、潤沢なPCR用の試薬・機材が準備できて、その後のロジさえちゃんと確保できるなら、例え感度低くても繰り返し検査でエッセンシャルワーカー中の無症候性感染者を掬い取れる〔なお掬い取られた現場がどうなるかは不明: そんなに潤沢ではない〕のは自明でも、本当に「どこまで準備可能で、何がどこまで準備されている」のか一切不明のまま、よーわからん議論のみSNSを飛び交っている印象。補給路も確保せずに戦う奴は絶対負けるってヤン・ウェンリーが言ってたんちゃうかったっけ?知らんけど。

幾つかの地域での(熱中症も絡んで)枯渇しかけている医療資源の話を仄聞しつつ、偶然8月15日という日に思うことを急いで書き留めているが、この「日本のバグ」を、変わらぬ日本の政治体制・敗戦の構造に絡めて嘆息する身振りに同意したくない。
それは過去に多くの英才が取り組んだ悲喜劇であるので、わざわざ賢しらに指摘することではないのです。

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