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人間は「調教」され「病んで」いる【ニーチェ 偶像の黄昏】

動物の調教を「改善」と呼ぶなど、われわれの耳にはほとんど冗談としか聞こえない。動物曲芸がどんなものかを知っていれば、野獣がそこで「改善」されているかどうかは疑わしい。動物は非力なものとなり、獰猛さを失う。恐怖という抑圧の感情や苦痛によって、傷によって、飢えによって、病んだ野獣となる。——聖職者が「改善」し、調教した人間もこれと変わらない

フリードリヒ・ニーチェ『偶像の黄昏』(河出文庫)

サーカスの動物たち
これは人間の都合のいいように
本能として持っていた
獰猛さを無くさせた…つまり
「調教」された動物たちです。

これを「改善」と言っても
いいものでしょうか?

本来の姿からかけ離れた
「病んだ」状態になっているだけ

ではないでしょうか

そして

人間の状態もこれと同じだ
ニーチェは言います。

社会の都合のいいように「調教」されて
その人が本来持っている
本能を失ってしまっているのではないか
堕落し「病んで」いるのではないか

そういうわけです。

確かに、教育というのは
社会に出て働けるように施されるものです

私たちから見れば
この社会で生きていくために
必要なもの…ではあるのですが

一方で、たくさんの我慢を強いられます。
さまざまな恐怖によって縛られます。
(試験の不合格、落第、
周りから逸脱すると怒られる…など)

調教という言葉の意味は

動物を目的に応じて訓練すること。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%AA%BF%E6%95%99/

社会で生きていく…という目的のために
訓練をしているわけですから

これは確かに、人間という動物を
「調教」していると言えるでしょう。

人間以外の動物であれば
調教されたとしても
生きることさえ
おびやかされなければ
不満を口にしてくることは無いでしょう

一方で、人間に関して言えば
ただ生きているだけでは
不満をもってしまいます

そして、本当は不満を持っていても
『調教の成果』によって
それを表に出すことが難しく
なっています。

むしろ、自分自身を責めてしまったり

あるいは、何らかの方法で
そのストレスを発散しようとする
(暴飲暴食、散財、SNSで人を叩く…)

という形で不満の蓄積が
現れてくることも多いでしょう。

まさに「病んだ」動物に
なっているわけです。

これを踏まえて
言っておきたいことは2つです。

・「病んで」しまうくらいなら
 「調教」されたことから脱する方が良い

難しいことではあります。

とりあえず、
自分がそのような状態にある
ということをしっかり認識するだけでも
「しょうがない」と諦められるように
なるかもしれません。

もう一つは

・「調教」が上手くいっていない
 動物からは”原則”距離をとる
 (遠くから眺めましょう。
  気の合いそうな動物なら
  一緒にいるのも良いでしょう)

野生動物は遠くから眺めましょう
仲良くしようと思うなら
ケガは覚悟しておきましょう

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