人間は「調教」され「病んで」いる【ニーチェ 偶像の黄昏】
サーカスの動物たち…
これは人間の都合のいいように
本能として持っていた
獰猛さを無くさせた…つまり
「調教」された動物たちです。
これを「改善」と言っても
いいものでしょうか?
本来の姿からかけ離れた
「病んだ」状態になっているだけ
ではないでしょうか
そして
人間の状態もこれと同じだと
ニーチェは言います。
社会の都合のいいように「調教」されて
その人が本来持っている
本能を失ってしまっているのではないか
堕落し「病んで」いるのではないか
そういうわけです。
…
確かに、教育というのは
社会に出て働けるように施されるものです
私たちから見れば
この社会で生きていくために
必要なもの…ではあるのですが
一方で、たくさんの我慢を強いられます。
さまざまな恐怖によって縛られます。
(試験の不合格、落第、
周りから逸脱すると怒られる…など)
調教という言葉の意味は
社会で生きていく…という目的のために
訓練をしているわけですから
これは確かに、人間という動物を
「調教」していると言えるでしょう。
…
人間以外の動物であれば
調教されたとしても
生きることさえ
おびやかされなければ
不満を口にしてくることは無いでしょう
一方で、人間に関して言えば
ただ生きているだけでは
不満をもってしまいます。
そして、本当は不満を持っていても
『調教の成果』によって
それを表に出すことが難しくなっています。
むしろ、自分自身を責めてしまったり
あるいは、何らかの方法で
そのストレスを発散しようとする
(暴飲暴食、散財、SNSで人を叩く…)
という形で不満の蓄積が
現れてくることも多いでしょう。
まさに「病んだ」動物に
なっているわけです。
…
これを踏まえて
言っておきたいことは2つです。
・「病んで」しまうくらいなら
「調教」されたことから脱する方が良い
難しいことではあります。
とりあえず、
自分がそのような状態にある
ということをしっかり認識するだけでも
「しょうがない」と諦められるように
なるかもしれません。
もう一つは
・「調教」が上手くいっていない
動物からは”原則”距離をとる
(遠くから眺めましょう。
気の合いそうな動物なら
一緒にいるのも良いでしょう)
野生動物は遠くから眺めましょう
仲良くしようと思うなら
ケガは覚悟しておきましょう
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