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陪審員制では、判決は集まった人次第=運次第になってしまうのか?

こんにちは、らるです。

今日は『裁判所の陪審員』を例にして
群衆の説明をしていきます。
(『群衆心理』第三篇 第三章より)

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陪審制というのは

刑事訴訟や民事訴訟の審理に際して、
民間から無作為で選ばれた陪審員によって
構成される合議体が
評議によって事実認定を行う司法制度

です。

日本でも似たような制度として
『裁判員裁判』が導入されており
私達も裁判の評決に関わる可能性
出てきています。

この『陪審員』が
どういう群衆に当たるかと言うと

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『名目アリ』の群衆にあたります。

元々は身分も職業も信念も違う
異質な人たちですが
「ある目的の元に集められている」
という点が異なっています。

ただ、その場に偶然いて
群衆化した集団(名目ナシ)との違いは
目的に対する『責任感』がある
ことです。

ただ、責任感があっても
『群衆』の一般的性質に
従ってしまうことに変わりはなく

・暗示を受けやすい
・無意識に従って行動する
・推理力は微弱である
・指導者の影響を受ける

と言った点はそのままです。

道理を議論で突き詰めたところで
それで動くわけではなく
結局、感情に従って動きます。
(情状酌量の余地があると甘くなる
 例えば、貢がせるだけ貢がせて捨てた相手に
 報復した…という案件なら、評決が甘くなる)

また『威厳』にも弱く

家名、素姓、巨万の資産、名望、
著名な弁護士の後援、その他、
人眼をひくこと、誉れとなることは、
被告にとって実に有力な助けとなる

その犯罪行為自体とは関係ないことに
評決が影響され
てしまいます。

その結果、何が起こるかというと

陪審員を構成するのが誰であっても
結果は変わらない

ということが起こります。

専門的知識を持ち、
それに厳格に従う人の集まりでなければ

誰が集まっても一緒ということです。

今日のまとめ

目的があって集まった群衆は
『責任感』を持つが
結局、『群衆』の一般的性質に
支配されることに変わりはない

陪審員は、誰が選ばれても
判決は変わらない

最後まで読んでいただき
ありがとうございました!

最後まで読んでくださったアナタに
一つ耳寄りな情報をプレゼント!

もし、自分が被告になったら
専門家ではなく、
素人の陪審員の感情に訴える方が、
生き延びられる確率が上がりますよ!

また明日も更新しますので
よかったら見てくださいね!


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