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「贈り物」の効果を「台無し」にする方法! ルソー『エミール』より

相手の心を掴みたい

そんな風に思うことはないだろうか?

簡単な手段の一つに
「贈り物」を与える
というのがある。

ただ、それは
「無償」でなければ意味がない


「贈り物」したとき

「何かで返してね」などと
見返りを求めてしまったら

「心」が返ってくることはない

労働者に対して
「お金を払うから働け」

配偶者に対して
「養ってやるから尽くせ」

子供に対して
「育ててやるから従え」

これらが
「贈り物」と「対価」の
代表例だ

決して、これらでは
心をつなぎとめることはできない


ただし
「お金を払うから働け」
「養ってやるから尽くせ」

これらは「契約」だ。
利害の一致をみて結ぶもので
社会上、必要なものだ。

では、子供に対する
「育ててやるから従え」

はどうか?

一方的に
『贈り物』(=
『育てる』)をし
『対価』(=『服従』)を求める
のは、
良いか?

ルソーは『エミール』第4章にて

これを否定している。

貧しい男が
相手がくれるという金をもらって、
そのために心ならずも
軍隊に入れられたとしたら、
それは正しいことではない、と
あなたがたは叫ぶだろう。

生徒が承知していなかったのに、
世話を焼いたからと言って、
その代償をもとめるあなたがたは
なおさら不正なことを
しているのではないか?

親が世話を焼いても
子供にそれを返す義務はない

契約していないのだから。

だから、何も返ってこなくとも
文句を言う筋合いはない

もし、文句を言う…つまり
子供に何か要求するのなら

それは「不正」である。

この、親と子の構図は

頼まれていない「贈り物」を
誰かに渡す人にも共通する
だろう。

ここだけ見ると
与えた側は報われない話に感じる…が

本当に何も返ってこないか?
といわれると、

そうではない。


人の自然な性質が、そうさせない。

人は自分によいことを
してくれる者を愛する。
これはまったく自然な感情だ。
忘恩は人の心には存在しない。

人は「恩」を忘れないのだ。

子供に対して、
親は多大な「恩」を与えている。

それを「子供」は忘れない。


ただ、見返りを要求するなら話が変わる。

ふたたび、ルソーの強烈な批判が入る。

くれるようなふりをしていて、
あとで高い値段で売りつけようとするなら、
あなたは詐欺をはたらいているのだ

予め約束していないことで
見返りをもとめるのは「詐欺」である。

もう一度、繰り返す

無償であればこそ
贈り物には
はかりしれない値打ちがあるのだ。

大事なのは「無償」である。

対価をもとめないことが
最も「贈り物」の効果を高める

人の心はつなぎとめようとすれば
はなれていき、
自由にさせておけば
つなぎとめられる。

「贈り物」の「対価」が欲しければ
決して「対価」を求めてはならない

面白い話だなぁ…と、思う。

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