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群衆が『真実』にたどり着くたった一つの方法

こんにちは、らるです!

これまで、
『群衆』は真実を求めない
『幻想』に支配されている
という話をしてきました。

『幻想』を打破しようとするものは
『群衆』の『いけにえ』になってしまいます。

では、『群衆』が真実にたどり着く方法
無いのでしょうか?

『群衆心理』第二篇 第二章 第三節より
その唯一の方法について説明します。

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・経験

経験は、群衆の精神に真実を確立し、
あまりにも危険になりすぎた幻想を
打破するために、有効な、
ほとんど唯一の方法となる。

そう、答えは『経験』です。

もちろん『群衆』の中の
一人だけが経験してもだめです。

大規模で、繰り返しの経験
必要になります。

また

一世代によってなされた経験は、
次の世代にとっては、おおむね無用である

ある世代の経験は
次の世代の役に立たない

ということです。

自分たちが全く経験していないことを
話として聞かされても
ピンとこない…という話です。

しかし、前の世代が犯した
大きすぎる失敗であれば
次の世代で繰り返したくはない
ものです。

何か方法は無いものでしょうか?

・物語体験は経験足り得るか?

ここからは、私の意見です。

この節の内容を日本に当てはめた場合
「日本の現代の世代は戦争を繰り返すか?」
というのが最も身近な例になります。

個人的な答えとしては
「繰り返さない」と考えます。

それは、実際に戦地に赴かずとも
「戦争が怖いことが感情に染み付いている」
からです。

私達は、戦争をテーマにした
物語に多く触れながら成長します。

『火垂るの墓』や
『この世界の片隅に』を見て
この状況を再び引き起こしたいと
思う人は居ないでしょう。

物語…特に映像メディアで
視覚、聴覚を通じて知覚したもの
半ば『経験』と同じ役割を
するのではないか
と、私は思います。

(もちろん、文字情報だけで
『経験』化できる人も居ると思います。
ただ…その数は、限られるため
『群衆』としての『経験』とするには
至らないでしょう。

『群衆』は本を読まないのです。)

今日のまとめ

『群衆』が真実にたどり着く
 唯一の方法は『経験』

『経験』は実体験だけでなく
『物語』を通しても可能だと思われる。

最後まで読んでいただき
ありがとうございました!

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