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正義の正体 『功利主義』第五章

こんにちは、らるです。

長らく紹介してきました
『功利主義』ですが
この第五章が最後の章になります。

第五章は『正義』についてです。

正義という言葉に
どんなイメージをもっているでしょうか?

子供に聞けば
戦隊ヒーローと答えたり

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プリキュア的な魔法少女と
答えたりするのでしょう。

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色々な答えは考えられますが
一つ言えるのは「悪をくじくもの」が
正義であろう
、ということです。

じゃあ、「悪」ってなんだ

という話になるわけですが
そこに客観的な基準を設けるならば
「ルールを守らない」ことが悪
言えるでしょう。

すなわち、正義の基準は「法」です。

法は常に正しいか?

正義の母体となっていた「法」ですが
これがいつの時代も正しいか、といわれると
そうではないことは
皆さんもよくご存知かと思います。

法を作るのも人間である以上
「悪法」だってできてしまうのです。

母体である「法」が
フラフラしているのですから
そこから生まれる「正義」にも
絶対のモノなんてない

というのは、自然と納得の
いくところでしょう。

正義の本質的要素

ミルは正義の正体を
こう述べています。

憤激という自然的な感情が、
社会的善の要求と横並びに存在することで
道徳的になったものにすぎない。

P158

憤激と、社会的善が並んだだけ

それが正義だ、というわけです。

結局のところ、正義というのは
そんなに特別な代物ではなく

大元は
「自分」に危害をもたらした人物を処罰したい
という自己防衛の衝動から生まれるものです。

そこに更に、人間には他の動物とは違い
共感の能力があるので

危害を受ける対象が「自分」ではなくても
例えば、家族、地域、国、人類…といった
自分を含む集団に共感をして

自分「たち」に危害をもたらした人物を処罰したい

という「社会的な善」の形になったもの

それが「正義」だというわけです。

「正義」と「功利主義」

正義の正体がわかってしまえば
正義は功利主義と矛盾しない

ということがよくわかると思います。

功利主義は、社会全体の善を最大化する考え方

正義は、社会的な善を守るもの

めざすところは同じです。

結局のところ、
正義も道徳と同じように
功利主義とは全く矛盾しないものである
ということをミルは言っているわけです。

まとめ

正義は、自己防衛の本能から生まれている

そこに人間としての共感能力が加わり
自己だけでなく、自己を含んだ「社会」を
守ろうとするという形
になって
社会的善になったものが「正義」である。



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