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「お父さんは、何度言っても部屋を片づけないのよね!」と母は言った、ただ…

こんにちは、らるです。

GWは実家に帰っていましたので
今日はその際の体験から、
「どこまでも相対的でしかない」
という話をしていきたいと思います。

まず、私のについてですが、
彼はかなりの物持ちで、彼の部屋は
本や趣味のグッズで溢れかえっています。

寝る場所以外はほとんど足の踏み場がないほどです。

私も非常にびっくりしました。

これに対して母は

「お父さんは、何度言っても
 部屋を片づけないのよね!
 モノを増やすばかりで困るわ!」

というわけです。

では、そんな母の部屋はどうか…というと
部屋には足の踏み場はしっかりと確保されています
ですが、部屋を眺めていると
古く、使わないものがたくさん残っており
私から見れば「明らかにモノが多い」のです。
モノが高く積み重なっているので
地震が来たら生き埋めになってしまう気がします…

(お父さんよりはいいけど
 結局、部屋にモノが多いという意味では
 変わらない気もするなぁ…)

…と、私は思ってしまいます。

一方、私の部屋は
友人などが来ると
「お前の部屋、何もないな…」と言われる程度には
物は少なめです


この体験から感じたのは、
片付いているか…というものの捉え方は
相対的でしかないということ
です。

私の父の部屋を見ると、
母にはひどく乱雑に見えるかもしれませんが

その母の部屋も、さらに物を持たない私には
まだまだ多くのものがあるように見えます。

そして、私よりもさらにミニマリストの人が見れば、
私の部屋もまた、もっと片付けるべきだと
感じるでしょう。

つまり、自分よりも

「散らかっている」と感じる人を見て
非難したくなるときでも、
自分よりも「整っている」と感じる人から
見れば、自分も同じように見えるのかもしれないです。

このように考えると
他の人の状態を判断し、非難したくなったとき、
もう少し寛容になれるのではないでしょうか

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