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道徳は「二次的」なものである J.S.ミル『功利主義』第三章

こんにちは、らるです。

今日は、『功利主義』の第三章の話を
していきます。

道徳というと、どんなことを
思い浮かべますでしょうか?

モノを盗んではならない

人を殺してはならない

人を裏切ってはならない

人をだましてはならない

…こういった感覚は
道徳としては代表的かと思います。

特に説明しなくても
「ああ、盗んじゃだめだよな」
と言うのは、多くの人が納得できるはずです。

ですが、もう一歩踏み込んでみましょう。

なぜ、盗んではいけないのでしょうか?

それは、「盗む」行為が横行したときのことを
考えればわかると思います。

せっかく、何か価値のあるモノを得ても
それはいつ盗られるかわかりません。

皆がお互いに「盗られる」ことを
警戒しながら生きなければ
ならなくなります。

そうなると、非常に生きづらいですよね。

ですから
「人のモノを盗んではいけない」として
盗んだ時に何らかの制裁があれば
盗みをはたらく人は減少して
社会に生きる人たちは全体定期に
生きやすく
なります。

だから「人のモノは盗まない」というのは
本質的には「社会を幸福にするため」である
と言えるのです。

ですが、私たちは

「人のモノを盗んではいけない」
ならすぐにピンとくる
のに

「社会の幸福を増進しなければならない」
と言われても、
「いやいや、自分の幸せの方が大事では?」
…と、あまりピンときません。

本質を考えれば、こちらの方が
より原理に近いにもかかわらず
、です。

これをミルは以下のように述べています。

この道徳は二次的に引き出されてきた原理だと
考えられるのに、大元の第一原理よりも、
ずっと拘束力を持っているように思える
のである。
土台として示されるものがあるよりも
ない方が、地上にある建物はしっかり
建っているように思える、というわけである。

P70

社会の幸福を最大化する=功利主義 と
道徳というのは、本来矛盾しない
ものです。

ですが、第一原理=社会の幸福の最大化が
見えない状態で
慣習的な道徳感覚(盗んではいけない など)が
身についてしまっているので
功利主義は、道徳に反している
…という誤解が起こってしまう
わけですね。

まとめ

モノを盗んではならない
人を殺してはならない
人を裏切ってはならない
人をだましてはならない
…といった道徳は、二次的なもので
第一原理は功利主義(社会の幸福の最大化)
である。

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