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日本は社会も思想も「中空構造」で出来ている
こんにちは、らるです。
今日は、ちょっと面白い話を見つけて
確かにそうかも…と思えたので
紹介します。
こちらの本の中で
紹介されている「中空構造」に関してです。
実は、日本は社会構造も思想も
この「中空構造」で出来ているのではないか
というお話です。
「中空構造」といわれても
ぴんとこないかもしれませんが
外側だけがあって中ががらんどうの構造のこと
を指します。
まず、これは神話に現れていて
日本の神話においては
出てくるけど具体的な役割を持たない
「無為の神」が登場します
![](https://assets.st-note.com/img/1713908611749-dd6roFmrpg.png)
ツクヨミって有名な気がしますが、誕生したあと出番がないんですね…。
また、神道における神社にも
この「中空構造」が見られます。
神社は、形としては存在するものの、
その中心は常に空のままです。
重要そうな部分が「空」になっている
というこの「中空性」は
日本の神話のみならず文化全般に
渡って見られる特徴です。
わが国が常に外来文化を取り入れ、時にはそれを中心においたかのごとく思わせながら、時がうつるにつれそれは日本化され、中央から離れてゆく。しかもそれは消え去るのではなく、他の多くのものと適切にバランスを取りながら、中心の空性を浮かびあがらせるために存在している。このようなパターンは、まさに神話に示された中空均衡形式そのままであると思われる」と断じました。
確かに外来文化を取り入れては
「日本化」していく…ということが
日本にはよくあります。
仏教なんかもまさにその典型ですね。
そうやって、色々なものを取り入れられるのは
「絶対的な中心がない」=「中空」だからこそ
という面もあるのでしょう。
メリットは、バランスが取りやすいことが挙げられます。先に紹介した河合の言葉で「他の多くのものと適切にバランスを取りながら、中心の空性を浮かびあがらせるために存在している」ことはすでに述べましたが、別のところで次のように説明しています。
「中心が空であることは、善悪、正邪の判断を相対化する。統合を行うためには、統合に必要な原理や力を必要とし、絶対化された中心は、相容れぬものを周辺部に追いやってしまうのである。空を中心とするとき、統合するものを決定すべき、決定的な戦いを避けることができる。それは対立するものの共存を許すモデルである」
私の言葉に置き換えれば、正面からの闘争や摩擦は回避できる、となるでしょうか。それは責任の追及もうやむやで済むということにつながるので、傍から見ているぶんには情けなさを感じたりするかもしれません。しかし、長期的に見た場合には、生存の法則としてはプラスにはたらいている部分も大きいと思います。これも広い意味では、バランスの問題といってよいかもしれません。 逆に、日本で弁証法(*)が成立しないと言われた背景にはこうした特徴があるだろうと思います。つまり、「本質と本質の対立」がないので、対立も非常に些細で本質的ではない部分に終始してしまう。『古事記』で例に挙げた、二神のどちらか一方が中心になっても、カウンターバランスが生じて入れ替わる「正と反の変化」にも通じます。
さらに、この「中空性」は、
善悪や正邪の判断を相対化します。
絶対的な中心を持たないことで、
対立する要素の共存を可能にするんです。
これは、日本人特有の対立を避ける文化的傾向にも繋がっています。、
このように、日本の神話から見える「中空構造」は、
日本人の思想や社会構造も表しています。
日本人を理解する一助になりそうです。
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