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「徳」を身に着ける方法【ニコマコス倫理学⑦】

こんにちは、らるです。

今日は、徳を身に着ける方法を
紹介していきます。

前回、徳というのは

・「徳」=アレテーの意味
「あらゆる種類のよさ、卓越性、
とりわけ男らしい性質、力強さ」
「動物や事物の善さ・卓越性」

ということであって
とても幅広い『徳』が存在している

ということと

その中でも大事なのが
4つの徳で(枢要徳)

「賢慮」:判断力
「勇気」:困難に立ち向かう力
「節制」:欲望をコントロールする力
「正義」:他者や共同体を重んじる力

特に、この4つの徳を
身につけることが幸福につながる

という話をしてきました。

「じゃあ、その『徳』ってどうした身に着くの?
 生まれつき、とか、小さいころの育ち方で
 決まっちゃうの?」

という話をしていくわけです。


徳の場合は、さまざまな技術の場合と同様、われわれはまずその行為を現実化することによって身につけるのである。というのは、学んだ上で、さらに実際に作らなければならないようなものは、われわれはそうしたものを作ることによって学ぶからである。たとえば人は家を建てることによって建築家になり、竪琴を弾くことによって竪琴奏者になるのである。まさにこれと同様に、正しいことを行なうことによって、われわれは正しい人になり、節制あることを行なうことによって節制ある人になり、また勇気あることを行なうことによって、勇気ある人になるのである。

日本放送協会,NHK出版. NHK 100分 de 名著 アリストテレス『ニコマコス倫理学』 2023年 10月 [雑誌] (NHKテキスト) (p.72). NHK出版. Kindle 版.

一言で言えば

『徳』のある振る舞いをすると
『徳』が身に着く

ということを言っているんです。
『技術』を身に着けるときと同じだ

と言っています。

ちょっとピンときづらいかもしれません。

本書の例がわかりやすかったので
紹介します。

健康診断の結果が出た翌日、家に帰ると、家族が買ってきたおいしそうなケーキがある。行列が絶えない人気店のケーキで、めったに手に入らないらしい。そう聞くと、「今回だけは食べよう」と思って手が伸びてしまう。別の日には、職場の同僚から和菓子の差し入れがある。「季節限定のものですよ」と言われ、これを逃すとあと一年は食べられないと思うと、やっぱり「今日だけは」と思って食べてしまう。「今回だけは」ということを毎回やってしまうわけですね。そういうことを繰り返しているうちに、加速度的に「不節制」という悪徳が身についてきてしまうわけです。

日本放送協会,NHK出版. NHK 100分 de 名著 アリストテレス『ニコマコス倫理学』 2023年 10月 [雑誌] (NHKテキスト) (p.75). NHK出版. Kindle 版.

大事な4つの徳のうちの1つ
『節制』:欲望をコントロールする力
について、考えてみます。

健康のためを思えば、
甘いケーキは食べないほうがいいでしょう。
(少しくらいはいいんじゃないか、とも
 思ってしまいますが…)

引用文にある通り
ある日「家族が買ってきたから…」と
ケーキを食べてしまう

また、別の日に
「期間限定だから…」と
ケーキを食べてしまう

こうした、欲望に任せたふるまいを
繰り返していると

不節制という悪徳が身につく

というわけです。

1つ1つの選択、行動が積み重なって
悪徳が身についていくというわけですね。

逆に…

健康診断の結果が出た翌日に家族が買ってきたケーキを見ても、「自分は甘いものを食べてはいけないのだ」と自らを律して食べない。すると、いままでは甘いものを控えるのは大変なような気がしていたけれど、一度控えてみると、「なんだ、そうでもないじゃないか」と思えてくる。むしろ、食べてから後悔することと比べれば気持ちも楽な気がする。別の日に同僚の差し入れがあっても、「私は控えているので食べません」と断ることができる。すると、どんどんその選択が簡単になっていく。善い選択肢を選ぶ回路が心のなかで加速度的に形成されていく。こうして「節制」という徳が身についてくるわけです。  

同上

逆に、1回1回の選択で
しっかりと欲望をコントロールすれば
=ケーキを我慢すれば

徳(この場合は節制)が身に着く
というわけです。

繰り返していくうちに、簡単になっていく
というのは、技術の身に着け方と
同じ
ですよね。

アリストテレスは、その都度どちらの行為を選択するかの違いは、決して些細なことではなく、その人に持続的な影響を与え、決定的な違いをもたらすのだと述べています。  実は、節制ある行為をすることがなかなかできない人も、生まれつき節制がないわけではなく、「ある」と「ない」のあいだで揺れている。そうした人が「いま、ここ」でどちらの行為を選択するのかが、その人の在り方に決定的な方向づけを与えていくのです。ですから先ほどの引用は、一見すると同語反復で当たり前のことを言っているようですが、注意深く読んでみると、徳を身につけるとはどういうことかについての根源的な洞察を含んでいるのです。

同上

1回1回の選択こそが「大きな意味」を持つ
ということです。

「いま、ここ」でどちらの選択を取るか、が
「徳」が身に着くかどうかの分かれ道なんだ

ということです。

これを考えてみると
日々の生活を「なんとなく」過ごしてしまっては
いけない気がしてきますね。

気が引き締まる思いがします。


まとめ

『徳』のある振る舞いをすると
『徳』が身に着く

『技術』を身に着けるときと同じ

「いま、ここ」でどちらの選択を取るか、が
「徳」が身に着くかどうかの分かれ道

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