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なぜ、うわさをしてしまうのか

こんにちは、らるです。

今日も先日に引き続き、うわさ、の話を
紹介していきます。


うわさの動機 3パターン

 まず、情報としてのうわさは「知りたい」が中心である。自分が巻き込まれた状況がよくわからないため、その状況を理解したいと思う。
(中略)
 世論としてのうわさは、「言いたい」が鍵になる。言論統制下にあって言いたいことが言えないがゆえに、うわさのかたちで言いたいことを表明する。ゴシップ(人に関するうわさ)が悪口になりがちなのは、表だって言えないことがうわさになるからだ。「言えないけれど言いたい悪口」がうわさの形式を借りて表明され、広まっていくのである。
 そして、うわさに参加する大きな動機がもう一つある。それは、人と「つながりたい」である。人と人との日常的な会話、すなわち「おしゃべり」を通じてうわさは伝わっていく。人との関係を築く上で、うわさは役に立ってきたのである。

松田美佐.うわさとは何かネットで変容する「最も古いメディア」(中公新書)(pp.109-110).中央公論新社.Kindle版.

うわさの動機には3パターンあると言います

1、知りたい
2、言いたい
3、つながりたい

特に、私が注目しているのは
2の『言いたい』です。

要は、~だって聞いたんだけど と
誰かから伝え聞いたような話でも


結局「本人が言いたいこと」である

という話です。

「ちょっと風のうわさで聞いたんだけど、
 ~さんって、裏では結構悪いことしてるらしいよ」
…といったような、伝聞の陰口的なもの
本人の主張にすぎない…ということです。

自分の責任を逃れつつ
客観性を持たせたうえで
自分の意見を主張できる…という手法
なので
ある意味、合理的になっているなぁ…と
あらためて考えると感心してしまいます。

一方、もし言われる立場になってしまったら
どう考えたらよいか…ということですが
仮に「事実でない」のだとしても
ある程度は受け止める必要がある
でしょう。

なぜならそれは、事実でなかったとしても
その人の気持ちを反映しているから
です。

その人は、うわさという
事実かどうかもハッキリわからないことを
引き合いに出してでも
その気持ちを誰かに向かって
現わしたかった
わけです。

それが、あなたにとって
非常に腹立たしいような
事実と異なるいいがかりだったとしても、
「それを言いたくなってしまった気持ち」
自体には、ウソはない
わけです。

ですから、もし、その人のことを
理解したい、と思うなら
その「うわさ」に頼ってしまったこと自体に
寄り添う必要がある
ということです。

根も葉もないうわさにのせて
自分の気持ちを表現している人を
みかけたら、今回の話を思い出して
うわさの真偽ではなく
その人の気持ちに寄り添う…という姿勢を
もってみてもいいかもしれません。


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