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エーリッヒ・フロムに学ぶ、愛の本質
こんにちは、らるです。
今日は、『愛』の話をしていきます。
愛…というと、なんとなく
好きな人ができたときに
発生するもの…的なイメージがないでしょうか?
自分からどうこう…というより
相手ありきなイメージです。
私もそんな気がしていました。
ただ、フロムの言う愛は
違っています。
フロムは考える、愛は受動的な感情ではなく、能動的な力、活動である、と。愛が能動的であるというのは、それが「与える」ことであり、「与えられる」という受動的なものではないことを意味する。
愛は受動的な感情ではなく
能動的な力、活動である
愛が能動的な力、活動…というのは
なかなかインパクトのある定義ですよね。
好きな人から与えられるもの…ではなく
「与える」ものだ
というんですね。
じゃあ、何を与えるの? …というと
では、何を「与える」のか。自分自身、自分のもっとも重要なもの、すなわち生命を。そして、この「与える」という行為によって、自分の強さ、豊かさ、力を経験する。もらうために、つまり愛されるために「与える」のではない。「与える」こと、愛することそれ自体が喜びなのである。
与えるのは「生命」であり
そして、この
愛する=与えることそのものが喜び
だというんですね。
アドラーも『他者貢献』を目指すことが幸福につながる
…というようなことを言っていましたが
それにも通じるものがあるでしょう。
与えることは、喜びなんです。
ただ、それで一方通行で終わるのも
悲しい気がしてしまいますよね。
もちろん、そんなことにはならないんです。
そして、この「与える」という行為は、他者の中にも何かを生まれさせずにはおかない。生まれるのは愛である。「与える」ことによって愛を「生産」するのである。そして「与える」ことによって相手の中に生まれたもの、すなわちこの愛は、今度は自分に返ってくる。真に与えれば、必ず何かを与えられることになるのだ。
愛された人の中には
愛が生まれてくるんです
真に与えれば
自分に返ってくる…ということです。
これがまた、難しいバランスで
「返ってくること」を目的にしては
「真に与える」になりません。
愛されることを目的にしては
愛されない、ということです。
(カーネギーも同じことを言っていましたね)
まとめ
愛は能動的な力、活動であり
与えることである
真に与えれば
愛は相手からも返ってくる
ただ、愛されること
愛が返ってくることを
目的にしては、真に与えることにならず
愛されることもない
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