心の湖

自分の心を眺めてみたとき
私は
悲しみに満たされていると
今に始まったことではないけど
思っていて

こう書くと
鬱々とした薄幸の人を
想像してしまうと
思うけど

そうではなくて
もっと微かで
仄かで薄らとして

変な言い方を敢えてすると
100万回洗濯した
パンツの黄ばみ
みたいな


辛うじてそれと分かる
感情の残渣に
何もないときでもね
満ちてるなって

気持ちがそれに
持っていかれる前に
理屈の話をしようと
思うのだけど

こういう
"定常的"にある
感情と思しきものって

エニアのタイプというか
センターごとに
違うのだろうなって

ハートは悲しみ
ヘッドは怖れ
ガッツは怒り

だから
内面をよくよく見つめて
そこに常々ある感情が何かを捉えれば
センターを識別できるかもって

でも
そうしたとき

他の人って
そういう感じで
感情を認識するのだろうかって
分からないなって
ちょっと面白いなって

どうしてかって

中嶋さんのエニア診断チャート
やってみたら
家族から「癒しのオーラ」を理由に
最後の選択肢でT9と判定されたから

T9の人も私みたいに
そう思ったりすることが
あるのかな?って
ちょっと疑問に思ったのが始まり

私にも怖れや怒りは
あるって思うけど
それらは
「心の器に普段からそれとなく満たされている」
という感じじゃないから

そういう意味でも
違うのじゃないかなって

分からないけど
それはそれとして
自己診断には繋がるのかもって
思った

私の中には
色々な感情が居て
喜びだってそこに居て
ときどきに声をあげているけれど

ずっとそこに居るのは
"悲しみ"だって思うから

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?