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クルーズ船の調査結果から推察される"ファクターX"の正体 ~なぜ、日本の死亡率が低いのか

日本の死亡率の低さの謎 "ファクターX"

WHO(世界保健機関)のテドロス事務局長は5月25日、緊急事態宣言が全国で解除された日本の新型コロナウイルス対策について「成功している」と評価しました。日本の感染者数や死者数が欧米主要国に比べて、非常に低いレベルにとどまっていることに対し、海外からも注目が集まっています。

なぜ、欧米と比べて日本の死亡率が低いのか。"ファクターX"と呼ばれるその要因は何なのか。この文章では筆者が辿り着いた仮説を紹介します。

ダイヤモンド・プリンセス号の調査結果が示唆すること

"ファクターX" の謎を解くヒントは、新型コロナウイルスの集団発生が起こり、計712人の患者が確認されたダイヤモンド・プリンセス号への国立感染症研究所による調査結果にありました。

この調査には、乗員乗客の49部屋490か所の表面をスワブで拭って検体を採取し、新型コロナウイルスのRNAが検出されるか調査するものがありました。部屋の中で調査した個所は、ライトスイッチ、ドアノブ、トイレボタン、トイレ便座、トイレ床、椅子手すり、TVリモコン、電話機、机、枕の10か所。

この中で、最も新型コロナウイルスが検出された場所は、浴室内トイレ床13か所(39%)でした。

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(C)NHK 調査報告 クルーズ船より

これは正直、意外な結果でした。なぜ、トイレの床が汚染されるのでしょうか?歯磨きのゆすぎによる唾液の飛び散りでしょうか?便器から跳ねた尿でしょうか?はたまた、便器内に吐いた嘔吐物が水流により飛び散ったのでしょうか?
最も考えられる理由は、排便後、フラッシュバルブの操作で大便を流すときに、激しい水流によりウイルスを含んだ水溶糞便の微細な飛沫が便器内から浴室トイレ床全体に飛び散っているという可能性でしょう。

SARSコロナウイルスでは、排便中にウイルスが大量に存在することが知られていますが、果たして新型コロナウイルスもそのような特徴があるのでしょうか?

新型コロナウイルスは糞便に存在するのか

新型コロナウイルスの主な症状は、発熱、咳、および疲労感ですが、一部の症状として下痢も含まれます。
厚生労働省の「新型コロナウイルス感染症 COVID-19 診療の手引き 第2版」には、次のように書いてあります。

血液,尿,便から感染性のあるSARS-CoV-2を検出することはまれである.

しかし、中国疾病対策予防センターが2月15日に発表した報告書によると、黒竜江省北東部の19人の感染者の便から新型コロナウイルスが検出されたと明らかにしています。報告書を執筆した研究者たちは「経口感染(糞口感染)する潜在的可能性がある」と考えているとのこと。
また、中国科学院Center for Biosafety Mega-ScienceのWei Zhang氏らがEmerging Microbes & Infections誌に2月17日に掲載された報告書では、ウイルスは患者の肛門にも存在しており、糞口経路で感染が広がる可能性があると警告しています(https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/22221751.2020.1729071)。

ただ、糞口感染ではなく、原因が唾液であっても、尿であっても、吐瀉物であっても新型コロナウイルスによって浴室内トイレ床が汚染されていた事実に変わりはありません。

浴室トイレ床の汚染はどのように部屋内で感染を広げるか

浴室トイレ床に汚染があれば足の裏にウイルスが付着します。その後、ソファに横になれば、ソファの座面や手すりなどが汚染される可能性があります。レザー張りのソファなら布張りに比べてよりウイルスの活性期間も長くなることでしょう。また、ウイルスを含んだ液体が靴下に染みていたなら、微細な飛沫と違いウイルスの活性期間も相応に長くなることでしょう。

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浴室トイレ床の次に多くウイルスのRNAが検出された場所は、枕です。11か所(34%)の検体から検出されました。頭部を枕に預ければ、自ずと涙、鼻水、唾液が枕に付着しますし、逆に枕から目鼻口から感染することも想定してよいはずです。ソファ上のクッションを枕にして顔を密着させることはめずらしいことではありません。

なぜか、今回の調査では「部屋の床」が対象個所に含まれていないのですが、浴室トイレ床が汚染されているのならば、部屋の床も汚染されていることでしょう。床のカーペットが汚染されていれば、乾燥したホコリに付着したウイルスが歩くたびに舞い上がるリスクもあるはずです。

船内の公共トイレの汚染はされていたか

浴室トイレ床に汚染があるならば、船内の公共トイレの床にも汚染はあると考えられます。今回の調査では、共有部分97か所の調査もされており検出は無かったとされているのですが、調査個所は公開されていません。少なくても事態が発覚するまでは、初期の感染者たちは船内の公共トイレを自由に使っていたはずです。

浴室トイレ床の汚染が部屋内に汚染を広げるように、船内の公共トイレの床の汚染が船内に汚染を広げることは自明と思われます。

"ファクターX"の正体は、靴を脱ぐ文化

欧米と比べて、日本の死亡者が極端に少ない事実は、靴を脱ぐ文化にあると推察します。ウィキメディアコモンズに掲載されている「靴を脱ぐ文化」を示した世界地図を見てください。

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青が靴を脱がない文化、緑が靴を脱ぐ文化です。

人口100万人当たりの死亡者数の多い国の順にリストアップしたデータ( "worldometer"のサイトの情報)を使用し、この表に上記の「靴を脱ぐ文化」の情報を重ね合わせてみました。

表 世界各国で100万人あたりの死亡者数が多い順

100万人あたりの死亡者数

※2020年5月31日時点のデータを元に作成
※人口が1,000万人未満の国は除く

上記の表と対になる「100万人あたりの死亡者数が少ない国と~」の表を同様に作成しようとしましたが、島国やアフリカの奥地などの地理的な理由によりウイルスが到達していないと推測できる国が多く混じっているため単純比較はできませんでした。

代わりに、アジア各国(「アジア」の定義は外務省に従う)を100万人あたりの死亡者数が少ない順に並べたデータを示します。

表 アジア各国で100万人あたりの死亡者数が少ない順

100万人あたりの死亡者数アジア編

※2020年5月31日時点のデータを元に作成
※人口が1,000万人未満の国は除く
※北朝鮮のデータはないため掲載なし

アジア各国の中で、ベトナムは一人の死亡者も出していません。Wikipediaの「靴を脱ぐ習慣」という項目には次のような記述があります。

ベトナムではどこの家やアパートであっても中へ入る際に靴を脱ぐ習慣がある。幼稚園や一部の小さな店でも靴を脱ぐことは一般的である。

靴を脱ぐ文化がある日本では、外出時に靴底が汚染されても家の玄関から内側には感染が広がりません。家に入る際に上がり框による段差がある家が多く、物理的な高さが汚染に対する障壁になってくれます。

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なお、それぞれの国が靴を脱ぐ文化であるかどうか、さまざまなサイトでも検証してみたのですが、判断が難しいものがあったことを追記しておきます。例えば、ここではモンゴルは靴を脱がない文化としていますが、あるブログではモンゴルからの留学生が「玄関で靴を脱ぐ。これは礼儀である。」と発言していることが載っていたりします。

伝統的な日本家屋には二種類の防壁が存在する

国際結婚し、欧米で暮らす日本人のフォーラムの掲示板を調べてみたのですが、次のような発言が見受けられました。

トイレに行った靴下でカーペットの上に上がられるのはやっぱりちょっと嫌です。だいぶ慣れましたが。。。
そうなんです。外から中を靴で、というのも嫌ですが、室内でも、トイレと台所とその他の居室部分を、全部同じ靴なり靴下で歩き回られるのが、つらいんです・・・!!

欧米では、シャワーとトイレが同一の空間に設置されるのが一般的です。靴を脱ぐ習慣のない国においては、結果的に公共トイレと自宅トイレとリビングの床がすべて同一平面上にあるということになると思います。

日本では、玄関で靴を脱いで一段上の別なレベルの平面に上がる必要があります。また、浴室とトイレが別室になっており、トイレにはトイレスリッパなる汚れ避けの専用の履物が存在し、トイレは別な平面としてゾーンニングされています。

すなわち、欧米の家屋に比較して伝統的な日本家屋には二種類の防壁が存在することになります。一つは玄関で靴を脱ぐことで外部からの汚染を許さないこと、一つは浴室とトイレの床が別になっていたり、スリッパというトイレ床だけで使う履物によって、トイレから室内への汚染を許さないことです。

もし、ダイヤモンド・プリンセス号がユニットバスの洋式の部屋ではなく、和室の部屋だけだったら船内感染あそこまで拡大しなかったかも知れません。

補足条件 ~日本のトイレの清潔さについて

"ファクターX"に関する仮説に辿りつく前に、各国の「トイレの清潔さ(衛生状態)」を調べていました。その国で「トイレ」を意味する単語を調べ、その単語で画像検索を掛けて各国のトイレ画像を延々と眺めていたのですが、日本のトイレの清潔さは、特別に高いレベルにあることを改めて認識しました。このことは、靴を脱ぐ習慣にプラスに作用する条件だと思います。

日本ではトイレが清潔であるがために、そもそもトイレ床の汚染が起こりにくいという事情があるのではないか、ということです。

●トイレットペーパーが流せる
日本ではトイレットペーパーを下水に流せるのはごく当たり前のことです。100%といっても過言ではありません。しかし、海外では、紙の品質や下水管の問題から流せない国が多数あります。この場合、くずかごに使用済みトイレットペーパーを捨てたり、専用のホースなどで水を掛けながら手で洗うという所作になります。よほど奥地の話でしょう、と思うかも知れませんが、例えば、お隣の韓国でもようやく2018年に「公衆トイレにはゴミ箱を置かない」という法律が作られ、トイレットペーパーが流せるようになりつつあるという状況です。
トイレットペーパーが流せない公共トイレでは、清潔さの維持は困難です。あちこちに便が付いていたり、汚水で床がびちゃびちゃだったりというケースもあるそうです。

●便座がある
海外では「便座がない」公共トイレは、まったく珍しくないそうです(むしろ、便座はないものと覚悟した方がよいそうです)。中腰で用を足したり、便器に直接座るそうです。日本人にはにわかには信じがたい事実です。

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写真は東南アジアのトイレです。便座もフタもありません。

海外旅行者向けに、便座がないときのため「携帯用便座」を販売している会社もあるほどです。

ヨーロッパでも公共トイレに便座がない率が高いそうです。例えば、フランスの公共トイレに便座がなかったことに驚く日本人は多いらしく、Google検索で「フランス エッフェル塔」(約 1,770,000 件)よりも、「フランス 便座」(約 4,310,000 件)の方が2倍強の検索結果が表示されるありさまです。これは気のせいかも知れませんが、「便座がなかった」というブログ記事が多い欧米の国ほど、新型コロナウイルスの死亡率の上位に位置している気がします。便座の有無は、国民の衛生観念を如実に現しているのかも知れません。

●便器のフタがある
ヨーロッパの公共トイレでは、便座が無く、フタもないケースが結構あります。当然、汚水が跳ねる確率が上がります。日本人の間では、フタをして流すことがウイルス感染対策のひとつであるとよく知られているので、洋式便器のフタがないことは信じられないことです(和式便器は例外ですが、国内で急速に数を減らしつつあります)。

●新しい形状の便器の利用率が高いので汚水を跳ねない
日本では、陶器メーカーによって水流がスムースに流れる洋式便器の形状が研究され尽くされており、汚水が跳ねることは滅多にありません。しかし、海外の便器はよりプリミティブな形状が多いようです。
これは、日本の住宅の利用期間が約30年と海外にくらべて短い(アメリカ約55年、イギリス約77年)ことと関係するでしょう。住宅が建て替えられるたびに最新の洋式便器が設置されていくことになりますので、日本には最新型の便器の割合が多いことになります。例えば、日本の最新型の便器のひとつでは、旋回水流によって汚物を流すようになっています。

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(C)Panasonic Corporation アラウーノV「3Dツイスター水流」より

●トイレマットが敷かれている(家のトイレ)
海外ではシャワーとトイレが同一の空間にあるためでしょう、トイレマットを敷いている国は日本以外には見当たりませんでした。バスマットが敷かれている写真はありましたが、常に清潔な状態で乾燥している訳ではなさそうです。清潔で乾燥したトイレマットがあれば、足裏にウイルスが付きにくくなることでしょう。
よく、海外旅行客が日本のトイレはとてもきれいと発信していますが、公共トイレを見ての発言だと思われます。多くの日本の家庭のトイレには、さながら小さなリビングのようにマットが敷かれていることを知れば、さらに驚くことでしょう。

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日本のトイレの写真(拙宅)

●消臭・抗菌剤を多用する(家のトイレ)
床に跳ねた飛沫が悪臭の元であるという消臭・抗菌剤のCMが繰り返し放送されているので、消臭・抗菌スプレーなどの使用率が高いのではないかと思われます。住宅事情からトイレが狭く、窓がないことが多く、臭いがこもりやすいことも背景にあるでしょう。これらの製品の宣伝が、日本人のトイレの清潔さに対する意識をつくり上げ、実際に消費されてきたのでしょう。

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P&G(C)「【新トイレのファブリーズ+抗菌】24時間トイレの床を抗菌し菌の増殖を防ぐ!」より

まとめ

日本の感染者数や死者数が欧米主要国に比べて、非常に低いレベルにとどまっている"ファクターX"と呼ばれる理由は、家の中で靴を脱ぐという習慣によるものだと思われます。

集団感染が発生したダイヤモンド・プリンセス号の調査結果によると、部屋の中で浴室内トイレ床が最も汚染されていました。これは、新型コロナウイルスが糞口感染する可能性を示唆しています。中国の複数の研究機関も糞口経路の感染を指摘・警告しています。ただ、糞口感染ではなく、原因が唾液であっても、尿であっても、吐瀉物であっても新型コロナウイルスによって浴室内トイレ床が汚染されていた事実に変わりはありません。

公共トイレ床が浴室内トイレ床と同様に汚染されている可能性を考慮した場合、欧米の靴を脱がない習慣が病院やショッピングセンターなどの公共トイレ床の汚染を家に運び入れ、それが家の中で拡散しているおそれがあります。100万人あたりの死亡率が高い順に国をリストアップしたところ、靴を履いたまま家に入る国が有意に多く見られました。また、アジア各国で100万人あたりの死亡率が低い順に国をリストアップしたところ、靴を脱いで家に入る国が有意に多く見られました。

伝統的な日本家屋では、玄関で靴を脱ぐ境界が明確に存在します。このことは外部からの汚染を防ぐ障壁となっています。またトイレ専用の部屋があり、専用の履物を履くという習慣があります。このことは内部での汚染拡大を防ぐ障壁となっています。

また、日本のトイレの清潔さは世界的に見て特別に高いレベルにあり、靴を脱ぐ習慣にプラスに作用している可能性があります。日本の公共トイレは、100%の割合でトイレットペーパーを流せ、便座とフタがあります。また、陶器メーカーによって汚水が跳ねない形状が研究され尽くされています。
日本の家のトイレは、海外と異なり浴室とトイレが独立していることが多いため、トイレマットを敷いたり、スリッパを使ったりするなどして清潔に使う人が多くいます。消臭・抗菌剤のCMが繰り返し放送され、消臭・抗菌剤を多用する人も多くいます。







一人でも多くの人の命を守る活動を続けたいと思っています。