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連載小説 Catopia7

 まるで巨大な水入れをひっくり返したようだ、とルイは思った。突然降りだしたスコールは鳥たちを巣へ追いやり、草木を強かに打ち据え、穏やかな小川を濁流に変えた。
 おかげで仮の寝床に決めた倒木は、ルイを乗せたままゆっくり押し流されようとしている。
 濁流が倒木に体当たりして砕け、泥の混ざった水飛沫として全身を濡らす。脳内の通知が心拍数の上昇を知らせる。
 敏感な扁桃体が引き起こすパニックを抑えようと、ルイは昨夜の記憶を辿った。

 上半身が壁を越えた瞬間、蒸し暑さが顔を直撃し、思わず一瞬目を閉じた。髭が頰にぺたりと張りつく。
 幸い薄目を開けた状態でも、身体は無意識に着地の体勢に入ってくれた。背中が弓なりになり、四肢が草むらに向かって伸びる。衝撃で肉球と足首を痛める前に、膝と肘を曲げて緩和する。
 頭のなかにポイント消費の通知が浮かぶ。ハンティングフィールドの入場料は、土を踏んだ瞬間に支払われる。侵入経路がどうであろうと、そのシステムは変わりないようだ。
 立ちあがると、密林が口を開けて待っていた。夜を飾り立てる虫の声、遠くの水音、イエネコよりも少し体重の重い動物の足音。それらすべての音を内包する深緑の闇が、月光に浮かびあがるシダの額縁に縁取られて、ルイを取り囲んでいた。
 不意に鼻腔内のセンサーが反応し、ルイは蔓のカーテンを潜って闇のなかへ滑りだした。だれかが獲物を仕留めたのだろう。五百メートル先で、血の匂いがする。

 匂いの元に近づくほど、水音も大きくなった。枯れ木が小川を横切る形に倒れ、盛りあがった根によって作られた小さな崖の間を繋いでいる。
 その幹の上に、猿が倒れ込んでいた。だらんと垂れた指先が、水の流れにさらされている。仕留めたハンターがすぐに放りだしたのだろう、まだ血のスプレーが噴きでている。
 倒木に飛び乗ると、大きな爪によって等間隔に木肌が抉られているのがわかった。イエネコの力ではない。カラカルにしては爪と爪の間隔が広く、傷も深い。
 猿を咥えてみると、背骨が折れているのがわかった。ハンターは前足で猿を叩き落としたあと、首に食らいついたらしい。リリースされた獲物の修復が済んでいないということは、ハンターはまだそう遠くには行っていないはずだ。
 ルイはしばらく密林を駆け回ったが、それ以上の収穫はなかった。やがてヤシの葉の間に見える空が白み始め、彼は一旦探索を切り上げた。マップを開いて最寄りの充電用ベッドや巣穴を検索すると、最短距離でも二時間かかることがわかった。
 ルイは小川まで戻り、倒木の空洞に入り込んだ。巣でたっぷり充電してきたのだから、一日くらい持つだろう。
 彼は毛繕いをしてリラックスすると、体を丸め、スリープモードに移行した。その眠りは三時間後、雷雨と轟音によって妨げられた。

 目の前を巨大な丸太が横切り、向こう岸のシュロの木に衝突した。土が大きく削られ、剥きだしになった根が幹の重みに耐えかねて傾く。
 また水飛沫がまともに降りかかり、視界と嗅覚を一時的に奪う。
 くそったれジャングルめ。なんという馬鹿騒ぎだろう。秩序も規則性もなく、辺りをただ散らかして。なにがスコールだ、くだらない。そんなものを設定するハンティング協会も、仔猫じみたぼんくらどもの集まりだ。
 なにより間抜けなのは、自分自身だ。いったいどんな頭をしていたら、川の近くで眠ろうだなんて思いつくのだろう。
「とんま、唐変木、おたんこなす」
 ルイは轟音に挑むように声を張りあげながら、尻尾を指揮者のように振った。しかし濁流による出鱈目な演奏は、一向に改善の気配を見せなかった。
 それでもなんとか恐怖を怒りに変換することに成功したルイは、倒木の上によじ登った。無数の水滴の矢が直接背中に突き刺さり、体毛の間に入り込み、皮膚を瞬く間に冷やしていく。
 視界はお世辞にも良好と言えなかったが、前方にぼんやりと、先ほど傾いたシュロの幹が見える。根の間にはもうほとんど土が残っていない。足場にできるとしたら一瞬だ。
 その幹の斜め下に、ルイより一回り大きい岩があった。このまま流されていけば、十二秒後には飛び移れる距離になるだろう。
 筋肉を休ませるため、幹から腹と尻を少し浮かせたまま身を屈めた。そのまま、バランスを崩さない程度に端のほうへにじり寄る。
 九秒。
 岩に飛び乗った瞬間に滑り落ちないよう、後ろ脚に込めるべき力を計算する。瞳孔が広がってゆく。頸の毛が立ち、皮膚がぴくぴくと動く。
 七秒。
 鼓膜を揺らしていた轟音が消えた。雨粒の一つ一つが立体的に浮かび上がり、その間にはっきりと景色が見える。濡れた岩の凹凸や表面の質感が細部まで感じとれ、どこに肉球を置くべきかはっきりとわかる。
 六秒。
 視界の端で泥水の波が立ち、スローモーションで迫ってくる。
 後退すれば距離の計算が狂い、前進すれば幹が回転する。耐えて視界を奪われれば着地に支障がでる。
 ルイは即座に決断し、踵を立てた。距離がある分、高さで補うしかない。勢いをつけるため腰を数ミリさげ、重心を調節する。
 前足を折り曲げたまま、ルイは一瞬静止した。
 五秒。
 泥水が弾けたとき、ルイは空中にいた。勢いよく蹴られた倒木が、波と衝突して宙に浮く。
 前脚を伸ばした先は眼下の岩ではなく、頭上のシュロの葉だった。直接幹には届かないので、葉を押すことで勢いを殺し、一度岩へと落下する。
 前足の肉球が岩肌を捉えた瞬間、下半身が濁流に落ちた。すぐに爪を立て、流されないよう胸を岩肌につけて這いあがる。
 簡単に毛繕いをして、水を吸った毛を軽くしてから、ルイはシュロを見上げた。
 距離は1.5メートルほどだ。充分飛びあがれる距離だが、問題はその後だ。根の弱り具合を見るに、のんびり向こう岸まで渡っている時間はないだろう。
 残る手は二段ジャンプだが、蹴りだけでは勢いが足りない。最初のジャンプと、全身の使い方でなんとかするしかない。
 ルイは幹の柔らかさと向こう岸との距離を見積り、ちょうどいい位置に向かって、斜め上へと飛びだした。身体が幹を超えると同時に後ろ脚を伸ばし、先ほどよりもはやく腰を落として、勢いを溜めようとする。
 その瞬間、横から飛びだしたアリゲーターがシュロの木を噛み折った。ルイは真っ逆さまに濁流へ落ちていった。


画像:Microsoft Copilot(AI生成)

Catopia8へ続く。

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