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私の攻撃性と人間関係の話②


皆さん本日もお疲れ様です。
前回の①、お読みいただけましたでしょうか?
読んでいないという方は、ぜひ①からお読みいただければと思います。


さて、続きです

大学に入ってからの指摘

さて私が大学に入り、あるゼミの先生に言われたことが
「あなたは周りをいつも攻撃して自分を守ろうとしてる。学力とか、容姿とか、社会的なこととかはいいから。あなたの中身を見せて」
でした

言えるはずなんかない。
ずっと、虐げられてきた、中学の時に先生に言われた言葉が「お前は感じたり考えたりしたことを言語化するな。不適なんだよ」だったから。
それは、人とは違う意識を持った思春期の子供には、あまりにも呪いになりすぎるには最適すぎる言葉だった。 
だから自分を守ろうとしていた
その結果求めたものは、自分の好きな物を利用した「学歴」であったり、「賢さ」であったりしたから。

ずっとずっと、我慢してきた。
そうか、大学なら、ここでなら、出してもいいのか。
ちゃんと誰かに伝えようとしていいのか。

そのとき、私のなかでい今まで溜め込んできたものが、一気に吹き出しました。
沢山泣きました。
思い返してみたら、私は、自分の中のもの、本当に、押さえつけてきてしまったんだって

小さな頃
自分が世界で1番幸せだと思っていた私は、色んな大人に踏み躙られて、大事なもの取り上げられて、気持ちに蓋をしてきた。
これ以上自分が傷つかないように
これ以上自分の大事なもの取られないように

私は、ずーっと、私自身が周りを攻撃することで、自分の大事なものを守ってきた。


私は色んなものを持っている。
いい年こいて大人になれない、子ども相手に自分の機嫌で八つ当たりしてくる、子どもの持つ自分よりも秀でたものに嫉妬する、くだらないアダルトチルドレンたちが羨むような、若さ、柔軟さ、賢さ、才能…
それを、潰されないように守ってきただけだった

その克服をしかけた3年生の春頭、再び私が言われた言葉は
「やられたからといって、やり返す、人を踏みにじりかえしていい理由にはならない。」 
でした。

これはね、綺麗事だと思うの。
とりあえず誰がどう感じるかは別として

私の価値を踏みにじった者の人格を認めてやるほど、私はできた人間じゃない。
私はきっと、一生小さかった頃の私を「都合の悪いもの」として扱ってきた大人たちを、絶対に許さない。


たとえそれでも、振り上げた拳をいつかそんな憎い相手を抱きしめる手に変えられるのだろうか。
私の好きなもの、大事にしてきたものを、いつか誰にも「お前は変わっている」と侮蔑されることなく受け入れられる日が来るのだろうか。


そして今

数ヶ月の訓練を経て、私は誰かを踏みにじる殺戮的な衝動(といったら大袈裟かもですが)をある程度制御することを覚えたようです。

きっかけは正直些細なことでした。
信頼していた、大好きだった先輩に裏切られ、「こいつもあたしの中身を見ようとはしなかった!」とカッとなった時、
ふと私の中に沸き起こったのは

「でもこの人を大切に思う人たち、この人を踏みにじったら悲しむ人たちがいる」

でした。

この人には、この人を大切に思って育てた母親がいて
この人と苦楽を共にした友達がいて
この人を信頼する仕事仲間がいて
この人が貢献した社会の恩恵を受ける人がいる

だからダメだ。誰かを蔑ろにしちゃ。
私が傷ついた気持ちは確かに痛かった。でも、私には、もう傷付く覚悟は出来ている。

誰かを信頼して、私の意思や思いを伝えて、それがどんなに私をぐちゃぐちゃにしても、後悔するよりはずっといい。傷はいつか癒えるから。
最初から「こいつもどうせアイツらと同じだ」って思って誰かと接するよりも
傷ついてでもその人を知りたい。
傷つけられても、その人の一面を見せてくれてありがとうと、笑顔で言える女性になりたい。

この気持ちはなんなのか。
なぜこんなふうに思ったのか。
正直理由は分かりません。でも、きっと、間違いじゃない。
私の中に芽生えたこの実感は、いつか必ず私をもっともっと強く優しくしてくれる。

この確かな予感が、本当であることを
今はただ、信じるだけだと思うのです。


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