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【怪談】伴走者

 貴美代さんは、小学生の頃、お父さんによく山登りに連れていってもらったそうだ。2つ下の弟も一緒に近くの山に出かけていた。

 ある日、山を歩いていると、道脇の藪の中から声が聞こえてきた。
 最初は遠くからだったが次第に近づいてきたそうだ。遠くからでも分かった。これはお母さんの声だと。
 まるで誰かと携帯電話で話しているような、そんな口調だった。
 しかしなぜお母さんはこんな場所にいるのだろうか。貴美代さん達が出発する時には、確かに家にいた。それから身支度を整えて追いつくなど不可能に思えた。
 しかも声がするのは道などない薮の中である。人がまともなスピードで歩ける場所ではない。

 声がさっきより近づいたところで、貴美代さんは確信した。
 お母さんではない。
 今では声がはっきりと聞こえるほどに近くまで来ている。
 それでも奇妙なことに、話の内容は全く分からなかった。
 日本語ではないのだ。話している言葉が。
 いや、そもそも外国語ですらないと思われた。
 正確な発音は覚えていないそうだが、「れろあさなりはた」といったような、本当に無意味としか思えない音の羅列だった。

「お姉ちゃん……」
 後ろを歩いている弟も気づいているようだった。これは母の声をした、母ではないモノだと。藪の中を、整備された登山道を歩く自分たちと同じペースで歩ける存在などいるはずがないのだと。

「お父さん……、ねぇ、お父さんさん……」
 父がこの異変に気づいていないはずがない。
 にも関わらずペースを緩めずに黙々と歩く父親に、貴美代さんは胸騒ぎを覚えた。
 貴美代さんは並走する何かに気づかれまいとするかのように、小声で呼びかけ続けた。しかし何も答えようとしない父親を見て、ついに黙ってしまったそうだ。

 三人はその後もほとんど会話をしないまま家に帰った。家に帰ると何故か母も言葉少なだったそうだ。
 その後も貴美代さんは度々登山に出かけたが、アレに出くわすことはついぞなかった。

 あれから十年経った今でも、貴美代さんはあの日のことを口に出せないでいる。

(竹書房怪談マンスリーコンテスト 2024年1月度 お題「母」応募作品)

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