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太兵衛とうさぎ

 太兵衛という猟師がいた。
 太兵衛は毛皮専門の猟師で、なかでもうさぎは簡単に捕まえられるという理由でよく獲物にしていた。

 猟師が山に入る際には色々と守らなければならぬ掟がある。
 例えば七人で山に入ってはいけないとか、鉄砲を跨いではいけないとか、口笛を吹いてはいけないとか。
 山は神様のおわす神聖な場所であり、そこで獲れる物は全て神様からの授かり物である、というのが山で暮らす者たちの共通の認識であった。
 しかし太兵衛はそんな猟師達を「古い因習に拘る馬鹿ども」と鼻で笑い、掟を無視して好き勝手していた。
 太兵衛は猟をする際の礼儀も最悪で、捕らえたうさぎはその場で皮を剥いで中身は打っちゃる、一緒に猟をした仲間に分け前をほとんどやらない、そのくせ熊猟には大きい顔をしてついていき、何もしていないのに高価な肝を欲しがるなどして、仲間の猟師からも疎んじられていた。

 ある冬、太兵衛が山を歩いていると、大層綺麗な銀色の毛並みのうさぎが目の前に現れた。
 すぐに仕留めて、これは高く売れそうだわいと皮を剥いだ。そしてさあ帰ろうと立ち上がったその時、腹の虫がぐぅと鳴った。
 家から持ってきた握り飯もずいぶん前に食べてしまったので、目の前にあるうさぎを焼いて食べることにした。

 そこらで拾った枝にうさぎを刺して火で炙っていると、どうにもこうにもうさぎが大層おいしそうに見えてきて、太兵衛はたまらずむしゃぶりついた。
 うまい。
 世の中にこんなうまいものがあったのかと驚くほど素晴らしい味わいだった。
 そこからの太兵衛は、毛皮なんぞそっちのけでうさぎを獲っては食べ、獲っては食べを繰り返した。

 一週間ほど経つと太兵衛の体はどんどん痩せ衰えてきた。落ち込んだ眼窩からぎょろぎょろとした眼が爛々と光り、まるで幽鬼のようであった。
 そしてブツブツと独り言を呟きながら、昼夜を問わず山の中を歩き回るのだった。

 ある時、猟師仲間が山に入る太兵衛を見かけて声をかけた。
「おーい、太兵衛! こんな時間から山に入るんかぁ?」
 そう聞くと、太兵衛は「うさぎ……。うさぎを獲らにゃあならんで……。お前にはやらんぞ……」とブツブツ答えた。
 誰がてめえの獲物なんぞ欲しいもんかい、と半ば呆れながらよく見ると、太兵衛の荷物に小さなされこうべがジャラジャラと数珠繋ぎにぶら下がっていた。どうやら獲ったうさぎの骨を大事に持ち歩いているようだった。
 猟師仲間は、ありゃあ駄目だ、うさぎに取り憑かれとる、と嘆息し、山へ入っていく太兵衛を何も言わずに見送った。

 うさぎ飢餓という現象がある。
 うさぎの肉は脂肪分が少なく、その成分のほとんどがタンパク質である。
 タンパク質はカロリーの摂取効率が悪いため、タンパク質だけでカロリーを摂取しようとすると一日数kgの量を食べなければならない。
 そのためうさぎ肉だけの生活をしていると、食べても食べても腹が減るがそのくせ胃袋は満杯という状況になる。
 そして一週間ほどで食べる量が数倍になり、下痢が始まって最終的には餓死する。
 腹一杯に肉を食べ続けているにも関わらず餓死するのである。

 太兵衛がこのうさぎ飢餓という状態に陥ってしまったのか、そして餓死してしまったのかは定かではない。
 というのも、遺体が発見された時には太兵衛の身体は骨だけになっていたからだ。

 太兵衛がおかしくなってからひと月ほど経った日の晩、村長の家で寄り合いがあった。
 しかし太兵衛が寄り合いに顔を出さなかったので心配した村長と他数名の村人が太兵衛の家へ様子を見に行った。
 玄関の扉を開けた瞬間、中からうさぎが数十匹ほど飛び出してきた。
 そして土間で人間の白骨が見つかった。周囲に散乱した衣服や持ち物から、太兵衛に間違いないと思われた。

 太兵衛はうさぎに食べられたのだ。
 そう噂する村人が後をたたなかった。
 無礼な振舞いが山の神の怒りに触れたのか。狩られ捨てられたうさぎの恨みを買ったのか。
 いずれにせよ生き物の命を頂くのであれば、それなりの礼儀がある、というお話だ。

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