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あの頃の私をハグしてあげたかった話


はじめに

私は、現在休職中の26歳。うつ状態で休職をしたのですが、自分にとっては急なことでもなく、この1、2年私にとってメンタル不調は切り離せない存在だったと思います。ただその時はうつとは思っていなかったかな?

気が付いたら体調が悪くなっていた

2年前のゴールデンウイーク私は気が付いたら体調が悪くなっていました。
4.5月が繁忙期のため根を詰めていたのだと思います。休みに入ってふと気を抜くと、食欲がない、ご飯を作る気力もない、背中が痛い、頭が痛い、寝すぎてしまう、テレビが見れない。こんな状態になっていました。
当時働いて3年目だった私は、今より新人として厳しい目で上司からみられており、勉強不足や仕事の仕方を逐一指摘されていました。
自分としては定時後や休日に時間を使って勉強をしているつもりなのですが、すぐには結果につながらず、また与えられた仕事量をこなせる能力がなく、いつも仕事のことを思い出しては泣きたい気持ちになっていました。
経理という部署は、特に効率化だったり生産性だったりが求められて職場ではたくさんそういう話をしていましたが、人として最低限のこともできない状態で座っているだけでも精一杯なのに、なにが生産性じゃと、現状と仕事で求められることのギャップに苦しかったことを覚えています。

とりあえず生きることだけ考えよう

本当に体調が悪かったのは、たぶん3か月くらいだけの話。でも地獄のようなトラウマです。その後食べて寝て生活する分には元気になりましたが、
メンタル的は長い間元気になりませんでした。久しぶりに心が穏やかだと思ったのが翌年の夏とかだったので、丁度1年くらい回復に要しました。ずっとずっと焦燥感のようなものがあり、集中ができないのと、何を頑張ってもさぼっても、ほかの人ならもっと容易にできる気がして自分がゴミにしか思えず泣きながら会社に行き、泣きながら帰っていました。
余談ですが、そのころ趣味で好きだったBiSHの歌をたくさん聞いていました。好きな歌「本当本気」の歌詞に「頭がおかしくなっちゃても屑じゃない知ってた?ここでやめちゃダメでしょ」とあり、絶対ここでくじけてたまるかと思えました。ありがとう、BiSH。
土日家でじっとするということができず、かといって暗い状態の自分にあまり友達を会わせたくなく、マッチングアプリをしまくっていました。
常にだれかと連絡を取っていなければ辛かったので、これもまたある意味救われました。これまた余談ですが、私はレズビアン。初めて同性同士のマッチングアプリを使いたくさんの子に会って、たくさんの子と疎遠になったけど今でも何人かは友達でいてくれています。一瞬の出会いでも、今でもよくしてくれるかけがえのない友達も、私にとっては本当に必要な存在でした、ありがとう。そんなこんなでジェットコースターのような自分の気持ちとどうにかこうにか付き合いながら過ごした1年間、本当によく頑張ったと思います。

もう大丈夫のはずが

その後、気持ちは徐々に落ち着きを見せ始め、落ち着いて物事に集中したり、面白いことを見つけて笑える自分に戻っていきました。
体調事態はいい時と悪い時があって、2.3か月くらい食欲がなくなったり、寝すぎる、体力が0になるというような時期を何度か繰り返しました。
病院の先生と話していると、躁の時期、うつの時期を繰り返すような体質になっていたようでした。(躁のエピソードがそこまでないため、躁鬱とは診断されないようです。)

↑うつ状態で休職に至った話
なので正直、休職したことについてももう大丈夫だと思っていたのにここで崩れるとは、、という気持ちがあります。家族、職場の人、友達がたくさん心配してくれているけど何か違和感があり、ああ、私はずっとあの頃の自分を引きずっているんだなと思いました。一番つらかった時期に自分で休ませてあげられることができず、今でも、ずっとつらかったのにと泣いている自分がいるような気がします。もっと早く病院に行っていればこの1.2年間の日々は変わっていたかもしれないし、仕事だってだめならだめで良かった気がします。だから、今どれだけ体調がよくなってきて、ずる休みなんじゃないかと思ったとしてもあの頃の自分を抱きしめる気持ちで大事にして、不健康な日々の疲れを取りきるんだと考えようと思っています。


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