「悪口ってなんだろう」和泉 悠 を読んで考えたこと。
悪口ってなんだろう
和泉 悠
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480684592/
悪口は、人のランクを下げる言葉、発言。
笑いも人のランクに関わるもの。
だから上位者に対して、笑う、ディスるのがいい。
コミュニティの中で平等性を主張するため、上位に立とうとするものを抑えるために悪口を使う。
狩猟民族では、コミュニティの平等性を保つために、調子に乗らせないため悪口を活用する。
悪口は言われるもの、言った側のランクによっても機能が変わる。
同じ言葉でも立場によってその攻撃性が変わる。
というのが、この本で気になったポイント。
笑いと悪口の仕組みが近いのであれば。。。
今テレビやメディアではお笑い芸人が無茶苦茶強い。ほぼどの番組にも出てるし、MCだったりと支配権にあるもの。
そんなコンテンツばかりになり、笑い=人をランク付けすることが、日常的になりすぎてしまって、消費者もランク付けする傾向が強まったとも言えそう。
だから、炎上に見る消費者の過剰な攻撃性、マウントという言葉の広がり具合、過度に自分を低く見る(自己肯定感の希薄さ、承認欲求、社会不適合者、コミュ障とか自分で言っちゃう)感じがより強くなってきている側面もあるんじゃないだろうか。
人とランクを比較するというのは、SNSとの相関関係もありそうですが、お笑い文化が与えた影響も多そうだと本書を読んで感じた。
多様性とかアンチルッキズムの考え方が広がりつつあるなかで、「言えないことが増えている」と言っちゃうのは主にお笑いの世界だとも思う。
お笑い文化が悪口、いじりに与えた影響は大きい。
私はお笑いが好きだけども、その分その攻撃性は感じてしまう。自分もかつて面白いことだと思って相手を下げたり、過度な言葉で表現したりしてきて、後から友人たちに「あの時のお前、怖かった」「お前の被害者の会がある」とか言われたりした。
お笑い=笑顔=ポジティブな相関関係でなく、つい笑顔になってしまうというようなポジティブなことと「お笑い」は別軸の感情・機能な気がしてきた。
私の体感的に私が学生だった頃に比べ、コミュニティが細分化されて過ぎて、どんな発言もランクというか認識の差異が発生してしまうのかも。コミュニティを隔てて同じ物差しを共有してないから、自分たちの尺度で相手を図ると自ずとズレ=ランクの差異が生じてしまう。
Twitterとかの論争を見ると、「ランクをそろえる」もしくは「これはランクの話ではない」という両者の認識をそろえることであったり、「互いのランクを上下させたいのでなく、議題について共に考えたい。」みたいなランクをどう扱うかの前提の認識ぞろえがないままにやり取りが始まるからマウント合戦になってしまう。
ちょっと関係ないけど「マウント」の検索人気度を調べた。
2020年の8月に一旦ピークが来て以降、波はありつつも右肩あがり。
体感としてもここ数年でよく使われるキーワードになってきていると思う。
https://trends.google.co.jp/trends/explore?date=today%205-y&geo=JP&q=%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%88&hl=ja
だから、世の中的にランクの上げ下げを目的としたコミュニケーションが増えてきているのかもしれない。
私はそんな渦から脱したい。
なんかむりやり文章を終わらせてしまった。
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