とっておきの切り札として「結婚」という言葉を使う違和感

汗がまとわりつく世界からの解放!シャワー!あって良かった、いつからあるのか知らんけど。

スマホ版どうぶつの森をやってたら、ドラム式洗濯機もドラム式じゃない洗濯機も二槽式洗濯機も作れるようで驚いた。洗濯機だけでそんなにバリエーション作るとは。浴槽もそこそこ種類ある。シャワーはどうだったかな。逆に、風呂の床っぽい素材があまり無くて困っている。床と壁と絨毯が難しい。


ちいかわがくまのポシェットにお菓子を詰め込みすぎて、くまの輪郭がボッコボコになっている、その状態のフラットポーチを作った。一日で一つ作れた。すごい。過去の私なら同じ大きさのポーチを作るのに三日はかかってた。全部を手縫いしていたってのはあるけども。

そこそこうまくいったので、ちいかわ好きの友人に押し付けようと思う。何か入れて渡したいが何にしようか。悩ましい。ちいかわに倣って飴を入れてしまうと、この猛暑で溶けてしまうだろう。あと一つ作る間に考えておこう。


最近、結婚について考えている。自分の話じゃなくて、社会での扱われ方を。前に兄弟が「男は結婚ってなると責任が発生する」と言っていて、その場で何も言わなかったが、どう考えても責任が発生するのってお互いじゃねえ?お互いに自分の責任の一部を相手に渡して、それと同じくらいの責任を貰ってるんだと思った。

誰かと一緒に住んでいる時にどちらかが風邪をひいたら、もう一方は看病する。お互いに両方の立場になる可能性がある。もし一人暮らしなら、自分の看病を自分でやらないといけない。お粥やスポーツドリンクを買ってくるとか、誰かに連絡して買ってきてもらうとか、その手配の手間を肩代わりしてくれる。自分の代わりに自分の面倒を見てもらう。自分が背負っていた責任を相手に一部譲渡する。という感じで捉えている。


んだが、「どうも自分は負担かかるけど相手はハッピーだよね」みたいな発想があるっぽい?付き合ってもデートもしていないのに、告白みたいにプロポーズしちゃう人が世間にはいるらしく(それまでのやり取りによっては成功例もあるだろうが、成功するレベルの人はそもそもコミュニケーションがかなり上手だろう)、そこまで極端ではなくとも、別れ話の途中で「結婚を考えてる」と言って繋ぎ止めようとする話は知人から聞いたことがある。とっておきの切り札として「結婚」という言葉を使う。今後の人生を共にしたいと思っていたのに、いま別れちゃうの?と。

多分、私とは意見が違う。結婚は、その後の人生をともにし、その間お互いの背負っている責任を一部交換する契約だとして、それが相手と繋がっていたいから結ぶのと、相手を繋ぎ止めるために結ぶのとでは全然違くないか。いや、言語化が難しくて正しくアウトプットできない。「繋ぎ止めるため」は誰でもかなりあるだろう。逃げる相手に一方的にリードを付けるのは変だよね的なことを言いたい気がする。結婚ってどちらかというとお互いにリード付ける行為なので。

二十代前半から三十代前後にかけて、長い間付き合ってきた彼氏に捨てられてしまった。婚期を逃した。というのは、冷静に考えて彼氏側も婚期を逃しているし、お互いにその時間は奪われている。男性はいつ結婚しても平気みたいなのもよく分からなくて、卵子と同じように精子も老化するので、女性の「婚期」が妊娠出産に適した年齢と捉えるなら男性も同様じゃないのかなあ。逆に、どうしても妊娠出産育児を経験したいという人以外は、性別問わずいつ結婚しても良いのでは。

とっておきの切り札のように使われる「結婚」は、そのカード自体にはそんなに意味がなくて、相手との関係によってカードのランクが変わるし、物によってはすげえザコなのでデカい響きに惑わされず冷静に判断を下さねばならんと思う。

めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。