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【器のはなし】あえて人気なさそうな器を紹介する 猪口・向付編

最近ずっと器の話をしてなくて、私から器の影が薄くなっているので、今日はあまり他の人が好まなそうな私物の器をあえてゴリ押しする回とします。手持ちの猪口・向付より五選。

ところで、先日同居人に「その向付取って」と言ったら通じなかった。通じないだろうと分かっていたのだが、それ以外の呼び方を知らないのでそう言うしかなかったのだ。私の語彙力が無い。もっとこう「カップ」とか「〇〇が入ってたやつ」とか言えばいいのに。私の体感だが、令和人に「向付」は通じない。では向付のことを知らない場合、何と呼ぶ人が多いかというと「蕎麦猪口」である。

左が猪口、右が向付。高台の形が違う。猪口は「猪の口」と書くように、猪の口に形状が似ている。ベタ底の作りが多い。「ちょく」「ちょこ」と読む。最近は「ちょこ」と呼ばれることが多いけど、多分昔は「ちょく」が多かったんだろうなと周りを見ていると感じる。ちゃんと確かめたわけではない。

向付は丸い高台が付いていて、下に行くにつれてキュッとすぼまる(ものが多い)。今更だが、向付は「むこうづけ」と読む。これは御膳の向こうに置く(付ける)のでそう呼ばれる。これはぐい呑みの元になったものらしい。おかずを入れる小鉢なのだが、それを食べたあと酒を入れてグイグイ呑むようになったそうだ。確かに盃よりずっと楽だ。

ぐい呑みの元がこれだと知っていると、よくぐい呑みと言われている小さめの手のひらで包めそうなサイズ感のものは「ぐい呑み」と名乗るのはどうかしらと感じる。商品名でそう使われているならそう呼ぶしかないのだけど、あのサイズはどちらかというと盃じゃないかなとモヤモヤしている。


江戸中期染付松竹梅図猪口

ウダウダ言ってないで紹介しよう。まずは猪口から。

太湖石をベースに松竹梅が丁寧に描かれる。二面に絵付があって、間は空白。この空いたスペースで白磁を観察出来るのが良い。裾模様が二重輪線だけなのも華美ではなくシンプルすぎず、バランス感覚に優れている。

余白の写真、口縁部がやや薄茶色になっているが、これは「ケムリ」という窯傷。焼成時、煙が当たって黒くなってしまった箇所。

内側は無地で、高台はベタ底。この高台を見ると嬉しくなる。伊万里焼では江戸後期以降はこのような高台はほぼ見ない。江戸中期らしい薄めで繊細な造りのおかげで全体的に上品な佇まい。美しいので自然と細目で見てしまう。

これを読んでいて覚えていたらすごい。この時にモデルにした猪口。


明治前期染付山水図猪口

古い器に馴染みのない人からは「すごい古そう」、慣れている人は「よく見る」、海外の人には「日本っぽい」と言われがちな山水図(多分)。

山水図はもうねえ、なんか全然人気ないのよね。私は割と好きだから不服。といっても、絵のタッチがいい感じの時に良いなと思う程度の好き。この猪口は絵のタッチのゆるさとパキッと仕上がるはずだっただろうけど、焼成のミスかなんかでくすんでいる色に惹かれた。

見込みに岩が描かれている。これ、岩なんですよ。何で岩が描かれるんだっけ、忘れてしまった。

高台は蛇の目高台。ミシン回で触れたジャノメ。猪口に詳しい人が見れば、高台だけでどこの産地か分かるそうだ。経験が違う。


江戸中期染付紅葉図広東型猪口

冒頭の猪口と向付の違いを読むと、これは向付かと思うけれど猪口である。広東型と呼ばれる。

1780年から1820年頃になると高台が高く、口縁が少しそり気味の特徴ある形をしたそば猪口が現れます。これは当時生産されていた広東形碗の影響だと考えられています。

https://www.umakato.jp/archive/coll/08_04.html

この「広東」は中国の広東地方のことで合っているらしい。広東地方の器を真似して作った形とかそういうんじゃなかったかしら(曖昧です)。

この何とも涼やかな秋。グラデーションのつけられた横縞の間に紅葉が並んでいる。横縞が流水のようで、なんとなく龍田川を思い浮かべませんか。私が龍田川を見にいった時にまだ紅葉が青かったからそう思うだけですか。紅葉に合わせたかったのにタイミングをミスって早かったんです。

内側は無地、高台は広東型にしては低めでささやか。こちらも薄手の造りである。秋の落ち着いた気温の中、縁側で冷えた煎茶を飲みたい。まだ青い楓の日陰にある石に座るシチュエーションでもいい。羊羹もセットだとなお良い。

凝った感じのなさと品ある風貌が、擬人化したら切長の目をした美少年だろうなと思う。小ぶりで手に収まってくれる感じも素晴らしい。少し高くて長らく悩んだが、他の人に買われてしまったら後悔すると思って手に入れた。


江戸幕末染付松竹梅丸文向付

向付。猪口に比べてコレクターが全然いない。なぜ〜。向付は小鉢として使われていたので、内側や縁に装飾的な要素が加わるものが多い。つば縁になっていたり、内側にも絵付が施されていたり。

では猪口は蕎麦つゆを入れるためだけにあったかというとそうではなく、江戸後期くらいには口径9cmほどの大ぶりのものも登場。10cmあるのも存在するが少ない。これは向付と同じくおかず用だと聞いたが、その出典を知らない。骨董雑誌を熱心に読み、目白コレクションなどの骨董市にもしばしば通う人から聞いたので、まあまあ信用できると思っているが。

余白あるのなんか好きなんだろうな〜。いつからかそういう趣味になった。以前はそうではなかった。丸文は人気あるけど、この質素な感じはあまりウケない。丸文が好きな人は、賑やかで可愛らしいのが好きなイメージ。偏見である。

松竹梅は頻出なので、どのパターンが来ても分かるようになると器を見る時楽しい。一番初めの猪口とこの向付では全然違う松竹梅だけど、どっちもそれと分かるのは易しい。知ってないと「ハ?」となるものが割とある。

口縁部内側は四方襷文、高台周りに蓮弁文?蓮弁なのか?こういうの、謎だととりあえず蓮弁にしてしまう。いや流石に波濤ではなかろうし、剣先でもない。

ちなみに二つある。とても気に入ったから、だと良かったのだが、以前買ったのを忘れていてもう一つ買ったためだ。引っ越しするときに二つあるのに気がついてびっくりした。今は二人暮らしなので、同じおかずを分配する時に使える。

基本的に私は気に入ったものしか複数買いしないタイプで、複数枚ある器の方が少ない。まあ、同じのを必要な分買う方が収納は楽だと思う。特に変形皿。


明治前期ベロ藍竹図向付

ラスト!ベロ藍!広重ブルー!

竹が四面に描かれている。これは竹です。勢いがありすぎて何が何だか。破竹の勢い。しかし漠然と惹かれるものがあって、つい……仕方がなかったんです。残り一つだったんです。私が黙って見ている間に減っていたんです。だからもう決断するしかなくて……

てことで、さっき言及した「知ってないと『ハ?』となるもの」の一例がこれ。

口縁部内側は格子。縁の部分が微妙に波打っているのが分かるだろうか。控えめだが、これが向付の装飾性である。猪口にはこれがない。お茶を飲むなら猪口のが口当たりが良い。

これもまた程よいサイズ感。実際に手に持ってしまうと、愛着が湧き上がる器なんですよ。ああ全く、こういう感じのは買ってこなかったのに、ずっと気になって仕方がなかった。いまだに手のひらで転がして眺めてしまう。


まとめ

そういえば、これらは全て染付だ。私は染付が好きだ。印判より染付のがいいなと思うものが多い。多分、それはデザインの好みよりも、絵付けに個体差があって「これは」となる個体に出逢いがちだったからだろう。

一見同じに見えるものでもじっくり見ると全然違くて、ちょっとの配置の差がわずかに雰囲気を変えてしまう。「これはあんまりだな」と思ったものでも、いくつか並べた中にとんでもなく好みのものが紛れていることだってある。「好きだな」と思っても、なんとなくパッとしなくてやめてしまうこともある。多分それが「骨董は出会い」と言われる理由の一つなんだろう。

あえてそんなに人気がないだろう器を紹介したが、オタク特有の早口が出ている気がする。どうぞ聞き流してくださいまし。


こういう系の話が好きな方は↓をどうぞ。

次回更新 8/14:夏の季語
※だいたいリサーチ不足ですので、変なこと言ってたら教えてください。気になったらちゃんと調べることをお勧めします。

めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。