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「ぶらっと下町日和」加茂川倉庫とは? 

 鳥取県米子市の下町を舞台にしたイベント「ぶらっと下町日和」が5月3~5日に開催されます。その中で4日に開催される「ジャズライブ」の会場となっている「加茂川倉庫」を巡って、さまざまな臆測が飛び交っています。そもそも「どこなのか」、とか。
■「町家舞台」
 「加茂川倉庫でググるけど出てこんよー」。そんな声を聞く。なるほど。ググると「静岡県 三島市 加茂川町の倉庫の求人」「加茂川小学校備蓄倉庫」といったサイトが出てくる。しかし、どうやら米子市文化財団と日本海新聞のサイトが検索結果の上位2位を占めている。この前までは「加茂川倉庫」でググっても米子市は表示されなかった、ということだろう。それもそのはず、「加茂川倉庫」とは空想の米子城下町に存在する建物名なのだから。
 実はこの名称、私が命名させてもらったのだが、我ながら絶妙なネーミングだと思う。ご存知の通り、近世の米子の玄関口は米子港だった。米子港から加茂川に入って物資を運ぶわけだから当然、河口付近に倉庫が建ち並ぶことになる。まさに、その倉庫の一角を担った建物が「加茂川倉庫」なのである。私邸だから、これまで内観が一般市民の眼に触れることはなかった。町家造りのお約束の黒光りする極太の梁や吹き抜け、天窓に加え、入り口部分の中2階が残っており、そこをつなぐ渡り廊下のようなものまである。それがちょうど、ステージを見下ろす桟敷のようでもあり、当日はそこから眼下のステージ部分に照明を当てるとか、いわば「町家舞台」の様相を呈していると言っても過言ではない。

■10年越し
 このような建物が人目に触れず存在しているというのが、米子下町の奥深さだ。言い替えれば城下町としての姿が現代人の生活に溶け込んでいるという希有な世界。いま「インバウンド(訪日客)」が大挙して日本を訪れる中、本当に観たいものとは、Japanの歴史が息づく暮らし文化に違いない。
 その意味では庶民の銭湯文化を今に伝える「日の出湯」とか洋館を模して造られた「YORAIYA角盤」の建物とかインバウンド(特に西洋人かな)に刺さるコンテンツが目白押しというのが米子下町の私の見立てだ。「よなごまちジャズプロジェクト」を下町に拡大しようと考えた理由は、市中心市街地と同様、下町は「商都・米子」の象徴だと思っているからだ。
 ちょっとしたエピソードを紹介しよう。実は「加茂川倉庫」をジャズライブの場として活用させていただきたいと思ったのは、かれこれ10年近く前のこと。当時そう思いながらも結局頓挫してしまった。ところが昨年10月、銭湯文化を盛り上げる団体「日の出湯元気ふろジェクト」さんと下町振興などについて漠然と語った初会合の翌日、米子商工会議所前の交差点で、まさに偶然に「加茂川倉庫」の所有者の方とばったり出くわしたのだ。私はその瞬間に「これはやるしかない」と直感した。米子城主の池田家、或いは荒尾家の魂が引き合わせたのかもしれない。理屈ではないと感じた。その夜、すぐに「加茂川倉庫」さんを見学させてもらったのは言うまでもない。10年越しのプロジェクトが実ろうとしている。
 ■見つけてもらいたい
 当時は市役所職員だった岡雄一さんが、今は米子城写真人となって、まるで歴代の米子城主に憑依されたかの如く、米子城址に魅せられていることも必然の流れを感じる。今回連携させていただいた米子市文化財団の職員として、「ぶらっと下町日和」の事務局を担っていただいたことは偶然ではあるまい。所有者さんとの偶然の出逢いや米子城写真人とのコラボは、まさに「そこに呼ばれた」としか言いようのない力を感じている。
 ある意味画期的なのは、ライブ会場の住所を伝えないということだ。シークレットライブなどで出演者を秘匿する事例は珍しくないが、会場を明かさないのは前代未聞であろう。私邸というのが大きな理由だが、むしろ公開しないことで、より「見つけてもらいたい」との思いが強くなってきた(当たり前か)。そして、この建物もやはり、見つけてもらいたとの意思を漂わせているように思っている。今日はなにぶん抽象的な内容になったが、世の中の多くは目に見えないもので成り立っている。「ぶらっと下町日和」ではそうした可視化できない歴史や暮らしなどの文化を思いきり感じていただきたい。

「加茂川倉庫」のシックな内観
歴史の重みを背負ってトランペットを吹く「よなごまちジャズプロジェクト」代表の岡宏由紀
堂々たる構造体
吹き抜け



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