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保育のお話。

いよいよ、私の本題。
保育について。

私は同一施設で29年保育士として勤めている。そして、まだまだ継続中。
正直、身体も変調期であとどれくらい勤めれるかは分からないけど、55歳くらいまでは頑張りたいと思っている。

日本の保育は、ほとんどが一斉保育だ。国で定められた基準に基づき、子どもの人数に合わせて保育士が配置されている。
私の園はマンモス園ではないが、小規模の園ではない。
4,5歳は30人を1人で見るといった感じできていた。(これは、20年前のお話し。ここ20年ほどは必要であれば、4歳は補助を1人入れてもらえる、5歳はほぼほぼ1人でした😅)

そして私は、恵まれている。就職した園で尊敬する先輩に出会うことができた。しかも、まだその先輩と一緒に仕事ができている。私を真っ当な人間にしてくれたのも、この先輩。(先輩の話はまた今度)

うちの園は離職率が低い。ずーっと一緒に20年以上働いている人が、6人もいる。先輩は1人ではないが、先輩方とは30年近く一緒に働いている。そして、パートの先生も15年以上働いてくださっていた。この3月で、お一人は65歳、もう一人の方も介護とお孫さんのお世話で退職された。
みんな歳を取るので、家庭の事情で1人欠け2人欠け、となっていくが、本当にみんな辞めない(笑)正規もパートさんも。
ただ辞めて行く人も一定数はいる。その辞めていく人はきっと「ここまで真剣に保育はできない!」と思って辞めて行く人が、ほとんどのようだ。

そう。ウチの園で働いている保育士は、みんな真面目。私以外は😅
この真面目さ保育に誠実というのがウチの園の自慢である。
が、真面目は時としてマイナスに作用する時がある。

働き出した29年前の子ども、保護者の姿と今の子ども、保護者の姿は全く違う。
年々、集団の輪からこぼれ落ちる子どもの数が増え続けている。

私も何年も主担任をしていて、どーにもこーにもうまく生活のリズムに乗せることができなかった子は数人いた。
一斉保育なので、全員で同じ行動をする。トイレの時間、お歌の時間、リトミックに製作、楽器遊びに、戸外遊び、給食に午睡…どれもこれもみんな一緒。で、その波に乗れない子をあの手この手でその活動に乗らせる。

あー、今、思い出しただけでも、よーやってたな😫

すると、この真面目さはこの一斉の波に乗せる時にとんでもない労力を要するようになる。
輪からはみ出ることが許せない
許せない、と言うと語気は強めだが😅

“なんで、言うこと聞いてくれないの?”
“どうすれば、みんなの所に来てくれるの?”

などなど、真面目さ故のキッチリが気持ちに折り合いがつけれず、子どもを詰めていく。
子どもが好きなのに、この保育のせいで子どもが嫌になる
行事前になれば、先生たちの顔は死んでいた。私は確実に死んだ顔をしていたと思う。
子どもは、好きなのに…伝わらない子どもたちにイライラして、普段の遊びにも目を向けてあげられず…そんなイライラした先生の元、子どもたちがおかしくならない訳がない!
話を聞かないこどもたちに、話を聞かせようと躍起になる先生…負のループ。。。

これは、行事がある園に勤めている保育士さんたちは理解できるだろう。特に、運動会、発表会、音楽会がある園に勤めていた人には。

それでも、ウチの園はみんなで助け合い乗り越えてきた。

助け合って、なんとか乗り越えて(みんな、ベテランなので、経験値でなんとかなる)でも、この負のループに入った何年もの間、保育士が続かなくなっていったのだ。特に若者が。
ベテランは、なんとか乗り切るがその下につく保育士たちは“コレをヤレって言われたら出来ない…”と逃げ出していく保育士が何人か続いたのだ。

これは、マズイ…

なんとかしないと、若者もベテランも、そして自分も保育という仕事が嫌いになる😫という危機感を感じ始めた。

私は子どもが大好きだ❗️辞めたくないし、嫌いになりたくない❗️
なんとか、ならないか…

そこで出会ったのが『育児担当制』の保育だったのだ❗️

私は、本当に運が良い😆

この保育との出会いは次の話で…

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