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自己紹介です。

まずは初めまして。

京都大学医学部三年のグルコースです。

自分自身、勉強にかなり苦労した経験があります。今思い返してみると、まったく無駄なことばかりに時間が取られていたと痛感します。

大学生活が落ち着き始め、塾講師のバイトを掛け持ちする中で、安定して平均以上の成績を収める生徒と、頑張っているけど空回りの生徒の違いが、単純な認識の差にあることを痛感しました。

問題は、勉強法以前の問題です。

根本的な問題を見誤って、かけた労力が的外れに気づき、自分は高三の最初で気づき、一から勉強をし直すことになりました。
今いるとこに合格できたのは奇跡としか言いようがないです。ほんと。
寿命けずりました。

高三と高二になるまででは受験に対する認識は誰しがも大きく変わります。
その認識の変化が一年でも、いや三か月でも早いだけで、受験当日の実力が大きく変わるのです。
後輩たちの役に立てばと思い拙速ながら記事を書かせていただきます。





じゃあ。
ゆるめに経歴を


僕は都内の私立中高一貫校出身です。親が心配性なのか、気づいたら中学1年生の時から鉄緑会という塾に通っていました。もともと真面目な性格だったので、指定された復習をこなすことに全力を注いでいました。しかし、ただやるだけでは何も身につかないのです。毎週の定期テストは得意でしたが、数か月に一度のまとめテストではいつも平均以下の成績でした。

悩んだ末、講師の先生方に勉強法について相談しましたが、うまくいきませんでした。いわく「鉄緑会は何周もするから大丈夫」でです。点数が全く安定せず、時々いい成績をとっても所詮は中の下、という立ち位置でした。特に高校2年生の最後の模試(クリスマス模試)で得意だった数学がギリSA、英語がSBという結果になり、これで京大医学部志望かよ!??と言われる状況に陥りました。

しかし、高校三年生の英語のクラスの社員の先生は優れていました。
この先生がいなかったら、間違いなくぼくは落ちていたと思います。思うに、多くの勉強法がうまくいかない理由のほとんどは、先生側と生徒側の認識の違いにあります。勉強法に様々な流派があれ、どの方法もある意味「正解」ではあるのです。この先生は、それぞれの言葉について詳細で具体的に説明してくださいました。

例えば、単語の勉強を習慣化するとはどのレベルで言っているか、理解できますか? 意識的に夜寝る前に、とかそういうことではないのです。毎朝歯を磨くのと同じように、スマホを触っているのと同じレベルの無意識下で単語帳を開くのです。まあ、厳しいことを言っている自覚はありますが、まあ、気づいたらそうなっているのです。そういうものです。ただ、このような両者の認識のずれがずっと続いていたら、いくら先生の言葉信じても、生徒の成績は伸びず、一向に努力がから回るだけなのです。

先生の指示に従い、私は高校三年生の春から単語の用法を文字通り基礎から学び直し、基礎英文法(確認シリーズ)の例文をすべて和訳することで英文法の穴を埋めました。基礎の徹底です。
(非鉄の人にもわかるように言うと高一高2でやっとくべき課題を高三の上半期使ってやり直しました。やってて当然だろってことです。)
この取り組みによって英語だけでなく他の科目に対する基礎的な理解が変わりました。問題の解像度が上がったと言えるでしょう。



おそらく、ここで使った「基礎の徹底」という言葉も人によって受け取る意味が異なることがありますね。実際には、この程度の違いは日常生活ではあまり気にする必要はありません。しかし、計画を立てる際には、大きな障害になることがあります。

私自身の経験から言いますと、優秀な人が「失敗した」と言った場合、私はそれを全く信用できません。


今後は、その勉強法について詳しく語りたいと思います。

あと、
きつい言い方で、
傷がつく人がいるかもだけど
過去のぼく自身に向けて書いてるつもりなんで、

その辺よろしく。


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