hspとエンパス、ざっくり解釈

おもに誰かのネガティブな感情を感じとるシーンにおいて、周囲の第三者からすると、“誰もそんな風には思ってないよー”という風に見えることに対して、“今、こんなことしたら、嫌がられる、負担に思われるんじゃないかな?”と、気を回して控えてしまうまのは hsp もエンパスも同じなのだけど…

(ここからざっくり解釈→)hsp の場合だと、本当にその誰かはまったくなんとも思っていないゼロから、実際そう(負担に)思っている100まで、全レベルに過敏に反応してしまう。何に対してそう反応してしまうのかは、今の自分の理解度では解らないが、でも生きづらいのは解る。

エンパスの場合だと、その誰かがまったくなんとも思っていないゼロレベルだと、おそらくそのゼロだということを感じる(実際は共感するが正しい)ので、気遣いしなくて良かったとかえって安心するだろう。また、気を回すというのとは違って、その誰かのそれまでの言動や思考、雰囲気などから、自分がその相手ならこんな時にこんなことされたら負担に感じるだろうな、そう共感して控えることを選択をする。で、その選択が間違っていないことは多い。もし、答え合わせが可能なら、ほとんど間違ってはいないんじゃないかな。いづれにせよ、ネガティブな感情ほど鮮明になりやすいので、生きづらいのには変わりはない。

例えば、今、いいねをすると、相手にも何かを要求しているようで、それは多分相手の負担になるので、いいねをやめておこう。そんな風に考えてしまうのは、hsp もエンパスも同じで、頻繁にそんな風に考えると思う。

結果、インスタにせよTwitterにせよ、アクティビティがすぐに相手に分かってしまうSNSが日に日にがんじがらめで窮屈な場所になっていく、そこは hsp もエンパスもそんな感じで同じなんじゃないかな。

生きづらさを少しでも軽減できれば良いなと思って、そうなんだから、自分は何も悪いことしている訳じゃないよ、という理由を探す考察をしてみました。

(誤った解釈があればごめんなさい)

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