性分は変えられる

性分というか、持って生まれた性質というか、キャラというか、気性というか、性格というか、これらのスペックは、“○○だから仕方がない”などと、それがどれだけ他人に害を及ぼしていようとも、諦めろ、受け入れろ、肯定しろ、という暗黙の圧力があるが、そんなのは当人たちの良いわけでしか過ぎないんよね。

いくつになっても感情に振り回されているようなのを大人とは言わない、これが前提にない世の中が不思議で仕方がない。

老人になれば子ども返りする、というのも、なに甘えたこと言ってるんすか?って思う。老成という言葉って聞いたことある?って問いたい。

感情とか、性分とか、それをコントロールするのが、知性ってものだし、知性は磨かなければ、芽生ることも光ることもしないのだ。

社会で腫れ物や老害と呼ばれるような存在になりたくなければ、自身の現状認識と、それに対しての改善について、真剣に、永遠に、諦めずに繰り返し考え続けるしか道はない。

自身のウィークポイントや非を認めるのはしんどい作業ではあるけれど、その先に見えてくるもの、得るものはとても大きくて、大切な資産になる。

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