築く未来と、受け入れる未来

おもに人や、その他の生き物との未来の関係性について、おそらく今から5年前あたりから考え方がはっきりと変わってきた自覚がある。

ややこしいので人、それも自分を含む二人に限定して書くと、それ以前は、個々のオリジナルの部分はそれとして、二人の関係性は、少しずつとか、一つずつとか、時間をかけて築いていくものだと思っていたし、事実それを前提に行動したり、考えたり、話したりもしてきたとも思う。

つまり、二人の、リアルタイムな現在から先の未来、将来は、価値観を同じくしたり、共有したり、同じ方向を向いて努力したり、という風に、建設的に築いていけるものだと思っていたのだろう。

5年前に原因となる何かがあったわけでもないし、そうした築く関係性を完全に否定するつもりもない。可能性は低いかも知れないが、世の中の知らないどこかには、未来を一緒に築けるような人が必ずいると信じてもいる。

(今生で会えるとは言ってないし、限りなくファンタジーに近いのも理解しているつもりである。)

では、どう変わったかと言うと、タイトルでザッツオールなのだが、相手のすべてをそのまま受け入れるのである。

何も足そうとしないし、引く必要もない。変わることも求めない。ただ無心に、違いは違いとして、個体差は個体差として、ひたすらそのままを受け入れる。

そんなことできるのだろうか?と疑問に感じたとしたら、おそらくその人には無理かもしれない。理由は、考えたり努力したりが前提ではないからである。

そんな風に考え方が変わってからのわいは、多分、嘘偽りなく、相当に幸せだと思う。何故なら、その受け入ると決めた対象に対して、日常の中でネガティブな感情が一切沸かないから、である。

もちろんこれは、受け入れる、と心に決めた相手に限っての話。そのジャッジの前提には、当然ながら深い愛情があるのは当たり前のことなので、つまりは、愛情のある相手に対する受け入れ方にその頃から迷いがなくなったのかも。

まぁ、ここまで書いておいてなんだけど、例示した二人と呼べるような相手は今のところ誰もいないし、近未来に現れる予定もないのだけど。笑

わいの今の対象は、一頭、とか、一匹とか数える子です。ワンワンアンドオンリーね。

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