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掬いたい感情

忙しかった毎日に、一段落がついた。私を縛り付けていたものが、1つ消えた、そんな今日は、少し特別な日。今日は何もせずただのんびりと時間を過ごした、それは甘えというものなのかもしれないけど、明日からまた前を向くために、そんな私を、今日くらいは許したい。

頑張ります、その言葉を私はとても簡単に口に出してしまうけど、本当に頑張ったと思えたことは、何度あったかな。頑張ったと堂々と言えるのは、どれくらい頑張ったら許されることなのだろう。頑張った、と言葉にするのはとても怖いから、私の中に、閉じ込めておく。

何かに頑張らなくちゃいけない時、私はいつも自分と向き合う時間を削ってしまう。忙しい毎日の中にいると、簡単に幸せな気持ちになれるものに手を伸ばしてしまう、一時的な快楽は、後で自分を苦しめると分かっているのに。そうして過ごす日々を続けると、私の中の、小さな感情の1つ1つを蔑ろにして、毎日を単調なものに変えてしまった。

数年前、私は私の感情から目を逸らすようになった。感情に押しつぶされるくらいの激しい情動を、私はコントロールできなかった。泣きたくないのに、涙が止まらなかった、人を傷つけたくないのに、気持ちの行き場を探して人にぶつけてしまった。そんな弱くて情けない自分が嫌だったから、その気持ちに蓋をした。抑えきれない怒りは苦しいから、全て私のせいにした、しょうがないと思うことにした。それから私は、人を否定できなくなった、何かに嫌いだという感情を向けることが無くなった、それは私を生きやすくしたはずだったけど、私は私の意思が、感情が、分からなくなった。

そんな私が変わったのは、最近になってから。noteの色んな記事を読むようになって、私と向き合う時間が増えた。今まで私が掬えなかった感情に、気づいて拾えるようになった。求められるように生きてきた自分を、急に変えることは出来ないから、まだ十分とは言えないけど、少しずつ、私というものを拾い上げたい。

幸せだと思うもの、大切にしたい。晴れた日の昼下がりに外を歩くこと、大好きな人達と時間を共にすること、美味しいものを食べること、自然の音に耳を傾けること、他にも沢山ある、私を幸せにするもの。悲しみの渦にいると忘れてしまう幸せを、大事に抱えたい。

忙しさや苦しい日々は、私から感性を奪う。繊細さや敏感さは、時に私を傷つけてしまうから。だけど、それでも、私はもう私の感情から目を逸らしたくない。私が私であることを、やめたくない。もうこの手から、感情がこぼれ落ちるのを見たくはない。

どんな私も私だ、かけがえのない自分だ。

そう思えるようになるまでに、時間がかかりすぎてしまった。

何度も無視してごめんね、おかえりなさい。

これからもよろしくね。


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