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Konaなハワイ島 ー コナ・コーヒーを求めて6 ー

はい、こんにちは😃ラオウ・コナバーバリアンです!(第7話)  

「特別なハワイを日常のHawaiiへ」というブログからnoteさんにやって参りました!

話の進捗が遅いですが、頑張っていきますよ!

ところで、一つの記事の長さはどうでしょうか?今は、長さが気になって気になって(^^)ちょうど良いくらいの長さって難しいですよね!


2020年2月のハワイ島旅行での見聞を中心に、コナ・コーヒーに関するお話を綴っています。

前回は、少し寂しいお話になってしまいましたが、今回も日本から移民した人たちのお話などを続けていきましょう。

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1800年代初頭にコーヒーがハワイにやってきましたが、サトウキビやパイナップルの生産に労働者の人員が割かれたことで空前の人手不足。そこで、世界中からの移民を受け入れ、生産量を維持・増強していたようです。

とはいえ、メインは大規模生産のサトウキビだったようで、コナ・コーヒーは働き手不足やら何やらで、衰退への道を辿っていったようです。もちろん、勝ち馬に乗る人は多く、負け馬に乗る人はいませんので、さらにサトウキビの方に人が流れたのでしょうね。

ところが、その頃、コナ・コーヒーは知る人ぞ知る「良質で美味しいコーヒー」だったところ、投資の対象となり、大逆転で思いっきり高騰。かなりの盛り上がりを見せたそうです!

これで「世界のコナ・コーヒー」という確固たる地位が築ける!と思いきや、またもや下降線。いや、下降どころか、衰退を通り越して壊滅状態にまで落ち込んだようです。

コナ・コーヒー・・・苦労したんやな〜(号泣)

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そんな感じで風前の灯状態になったコナ・コーヒー。コーヒー農園のオーナーは、このままでは活路は無い、と農園経営の方向転換を強く迫られます。

かなり厳しい状況下で試行錯誤をしながらも、未来を見い出せない農園主たち。すると、そのなかから、もはや自分たちでできないのであれば、誰かにやってもらう、という方法で生き残る道を選んだ者が現れます。

つまり、「コーヒー生産」という経営よりも、コーヒー農園を貸し出して、その「貸出料」、要するに「家賃や地代」という形で収入を得る「賃貸業」「不動産業」のような業態に大きく舵を切ったのです。

これは大きな方向転換ですが、そもそも、衰退、壊滅状態のコナ・コーヒーに対して、「地代を払ってでも取り組みたい人間がいるはずだ!」という発想自体が、経営戦略としてどうなの?と感じてしまわないでもないですが、経営のプロの方から見てどうなのでしょうね?

しかも、おそらく、多くの地代を得るためでしょうか?大農園を細かく分割。サトウキビやパイナップルで取り入れられている大型農園方式の大人数による大量生産を終了させてしまいます。

その結果、壊滅状態のコナ・コーヒーの小さなコーヒー農園を地代を支払いながら運営してくれる人を探すという、ファンタジックな経営方針を打ち出すことになったのです。

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そんな、半ば自暴自棄とも受け取れる農園主の方針転換を、一筋の光明が強烈に照らし出し、大きな扉を開け放ちます。

時は1800年代後半から1900年代の初頭。

ハワイ島という島で、コナ・コーヒーが、100年に満たない数奇な運命を閉じようとしていた時、海を隔てた島国でも、大きく歴史が動いていました。

鎖国により閉ざされた未知の国「日本」

徳川幕府が終焉を迎え、明治政府により、一気に世界に存在感を見せようとするその輝きは、もの凄いパワーに溢れていたことでしょう。

そして、閉ざされた世界が大きく広がり、他の国「外国」への扉が開かれたことにより、歴史の転換期を生き抜いた日本人たちは、まだ見ぬ「新天地」に、わずかな荷物だけを持って、力強く足を踏み出して行ったのです。

そうした「時代」という運命の悪戯、いや、運命的な出会いが、コナ・コーヒーを世界三大コーヒーのひとつにまで押し上げていきます!

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では、今回はこの辺りで。マハロ!

写真5枚を差し込むくらいの文章の長さが良いかなと思うのですが、いかがでしょうか?

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