Konaなハワイ島 ー コナ・コーヒーを求めて9 ー
はい、こんにちは☺️ラオウ・コナとバーバリアンです。(第10話)
「特別なハワイを日常のHawaiiへ」というブログからnoteさんにやって参りました!
2020年2月のハワイ島旅行での見聞を中心に、コナ・コーヒーに関するお話を綴っています。
ところで今回で10話目になりますが、皆さま、楽しんで頂けているでしょうか?スキやフォローをしていただけると、本当に嬉しいですね😆
オアフ島ではなくハワイ島の話なので、もっと寂しい状況を覚悟していましたが、思っていた以上に反応いただき、とても嬉しい誤算です😂
ところで、楽しく記事を書かせていただいておりますが、早くも写真の管理が無理です!
撮っている本人が言うのもなんですが、似通った風景写真ばかりで、どれを使い、まだ使っていないのはどれか、管理が追いつきません!もちろん、しっかり管理すれば良いのですが、その時間を使うなら、記事を書いた方が良いと判断しました。ですので、これから写真の重複が頻発するかも知れません。大変申し訳ないですがご了承ください。
さて、ハワイ島のコナ・コーヒー。
前回までのおさらいとして、
1800年代初頭にハワイにやってきたコーヒーの木は、盛況と衰退を繰り返しながら1900年代を迎えます。
衰退を極めた時、ある農園主が大農園方式を諦め、小作化、家族経営化の道を選択しなければ、コナ・コーヒーは歴史のなかで消えていたかもしれません。
もちろん、壊滅状態のコナ・コーヒー農園からの小作化の呼び掛けに移民たちが応じなければ、コナ・コーヒーの作り手はいなかったでしょう。
そして、コナ・コーヒーの栽培に日本人たちが手を挙げたことも本当に大きかったと思います。
今の考え方、今の常識と言われるもので、その当時を評価するとおかしな事になるでしょうが、小さな子どもたちも自分のできる手伝いをしながら、家族総出でコナ・コーヒー作りに取り組み、懸命に生き抜いた事実には敬意を払うべきでしょう。
ただ、コナ・コーヒー自体が高値で取引される優秀な農作物、というわけではなく、日本人移民たちの生活が安定するには、程遠い状況だったようです。
しかし、そこは日本人。日本からやって来た日本人、つまり、第一世とハワイで生まれた第二世くらいの時代。しかも、江戸時代から明治時代の超絶大変革期を生き抜き、それなのに新しくなった日本から異国のハワイに行こう!というエネルギーが溢れ出ていた日本人。しかもしかも、自然災害に尊い犠牲を出しながらも負けない日本人。冬のないハワイ。川の氾濫に悩まされないハワイ(もちろん、水害はあるでしょう)。贅沢はできないながらも勝算はあったのだと思います。
とにかく、手先の器用な方が多かったようで色んなものを作ったみたいですが、そこには「もったいない」という、今も日本人の心の奥底にあって欲しい、ものを大事にする精神が大きく作用していたのだと思います。
たとえば、コーヒー豆を収穫後、天日干しにするそうですが、雨が降ると豆が濡れてしまいます。品質低下につながりますし、何より、せっかく出来たコーヒー豆がもったいない。
そこで、コーヒー豆を天日干しする干し棚の上に、可動式の屋根を作り、雨が降ったら屋根を動かしコーヒー豆を雨から守る。当たり前のようなことですが、これも日本人が作ったようです。コナ地域のコーヒー農園では、コーヒーを天日干しする干し棚のことを『ホシダナ』と呼ぶそうです。今ではちょっとした工夫と簡単に言ってしまいそうですが、当時は画期的な道具だったのでしょうね!
このように「良いコナ・コーヒー」を作るために日本人移民たちは、試行錯誤を繰り返していたのです。
そうこうしている内に、世界では、第一次世界大戦が勃発します。
皮肉なことに、戦争が起こったことでコーヒーの需要が高まり、少しコナ・コーヒーの価格も上がったようです。しかし、まだまだ評価はされているのに低価格だったのでしょうね。
その頃になると、苦しいながらも、ある程度、生産は安定したのでしょうが、害虫被害などもあり、余裕のある状態ではなかったと思われます。
そして・・・第二次世界大戦。
日本人、日系人にとっては、オアフ島の真珠湾以降、大変な状況だったことは容易に想像できます。
ですが、日本人をはじめとする移民たちの努力を現地の人々は分かってくれていたのでしょう。戦後も日系人を含んだコナ・コーヒー生産はしっかりと続けられます。
しかし、良質で美味しいのに価格が伴わず、報われない時代が続いたようです。
これではダメだ!とハワイが動き出したのが1970年代。コナ・コーヒーはハワイの特産品だと世界に宣言したようです。ハワイ島でコツコツと地道にコーヒーと向き合って来た人々の努力が、やっと報われた瞬間ですね!
日本人がコーヒー栽培に取り組んで数十年。とうとうハワイ島のコナ・コーヒーは世界に翼を広げ、世界中のコーヒー愛好家を魅了し、普通にコーヒーを嗜む人々が「一度は飲んでみたい!」と憧れるコーヒーへと躍進しました。
大農園主の一部が小作化を決断し、主に日本人移民たちが率先して家族経営に汗を流した。その奇跡が無ければ、今のハワイ島にコナ・コーヒーは根付いてなかったでしょう。
というのも、今、ハワイで「サトウキビ」の名を大々的に、たとえば名産品として聞くでしょうか?もちろん、サトウキビは基幹農産物にはなっているようですが、全盛期に比べ、かなり小規模になっているようです。
家族的な生産を維持したからこそ、上質で美味しいコナ・コーヒーが世界三大コーヒーのひとつとして世界中から愛される。
コーヒーがハワイ島にやってきて200年。歴史の波のなかで消えそうになりながらも紆余曲折を経て、現在の美味しいコナ・コーヒーを楽しめているわけです。
当たり前のように楽しめる幸せな時間も、その背景を知ることで、より鮮明に感謝の気持ちが湧いて来るものですよね。
それでは続きます。マハロ!