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病気と戦う娘へ
長女は現在Tリンパ芽球性リンパ腫で入院治療をしています。血液の癌でいろんな箇所に腫瘍を作ってしまう病気です。今、抗がん剤治療をしています。1クール(2週間)抗がん剤、そのあと白血球が下がるので上がるまで様子を見て、計6回は行うため入院しながらの治療、その後は通院しながら治療を行う予定です。長女の病気完治を祈りながら、経過を記録して、何か役に立てばと思い、忘れないように記録していきたいと思います。
11月12日 わたしが夜自宅に戻ると長女が胸の痛みを訴えていた。『ここが痛い』と右胸あたりを抑えている。熱もあるという。明日医者行こうかと聞くと『行っても何もならない』と言っている。痛み止めのカロナール持っていたので服用させる。
11月13日 痛みの具合いも強くなっている。長女に受診を勧めても行きたがらない。市販の鎮痛剤を買いに行く。心臓とか肺炎?と心配も本人が行きたがらないのでどうしようもなく様子を見ることに。痛み止めを飲むと少し楽だというが、痛みは継続しており、食欲も痛みのためない。『明日やっている病院あるから行こう』と言うとやっと本人納得する。
11月14日 歩くのにも辛そう。個人病院の内科へ連れていく。レントゲンを撮るが特に所見なしとのこと。鎮痛剤を処方されて、また痛みが続くようなら大きい病院へ行くしかないと言われる。熱は下がってきている。鎮痛剤は服用しているが痛み止めが切れると痛みが強くなる状況。明日も行こうか。
11月15日 再度昨日行った病院へ受診する。昨日みてもらった先生じゃなく、院長先生から診てもらい再度レントゲン検査。レントゲン結果、先生からは少し気になるものが見えるので大きな病院へ受診勧められる。22日に予約をとってもらう。
徐々に痛みは減少していくため、本当に22日に行っても何もないじゃないか、もしかしたらただの筋肉痛かな。痛みを訴える前に運動をしたと言うからそれかもとこの時点ではかなり安楽に考えていた。
11月22日 この頃には全く痛みはない。やっぱり気のせいかな。レントゲン検査と血液、尿検査を行う。呼吸器内科の先生よりレントゲンを見るとやはり何かあるようなのでレントゲンではよくわからないためCTを撮りましょうとその日にCT検査を行う。
11月26日 検査結果を聞きに行く。再度レントゲン検査。診察の時にCT検査結果の説明を受ける。やはり胸のあたりに腫瘍があるようだとのこと。首のところにもあるため、首から細胞を取って検査が必要になると説明を受ける。そのために耳鼻科の受診をと言われる。
12月3日 耳鼻科受診。首からの細胞を取るための事前確認、診察、説明を受ける。首から注射で一部細胞を取られる。これだけではわからないので首のリンパ節を一部取る手術のため全身麻酔が必要なため手術のための入院をすることになる。
12月9日 首のリンパ節生検のため手術。
12月13日 呼吸器内科受診、リンパ節の検査結果はまだ出ていないが、耳鼻科受診した際に取った細胞の結果から血液のがんのようなので呼吸器内科から血液内科へ受診して説明を受けてほしいと説明あり。血液内科の先生よりは、入院して今後の治療を決めていきたいと話あり。12月21日に入院するように準備しましょうと説明あり。
置かれている状況がはっきりした日。呼吸器内科の診察を終えて、看護師さんが診察室の外までついてきてくれる。組織検査で入院していた病棟にいた看護師さんで気にしてくれていたと話をしてくれる。『お母さん大変だと思うけど』この言葉でずっと我慢していた感情が溢れて泣いてしまった。良い結果ではなく、悪い方の結果になすすべなく、ただ泣くしかできなかった。
12月14日 首が腫れて眠れないと訴える。日に追うごとに訴え強くなる。顔もむくみが酷くなる。
12月17日 耳鼻咽喉科再受診 首の件を伝えると血液内科で診てもらうことになる。先生より来週の入院を待たずに入院したほうがいいと話あり。ここ数日の変化を見ると土日を挟むことがとても難しいと判断。そのまま入院となる。
入院になるとはわかっていてもまだ準備が終わっていなかったため義母さんの協力を得ながらなんとか準備をして持ってきてもらう。病室に上がる際に看護師さんと話した時に年内の退院は難しいと説明を受ける。
状況は願いとは反対に動いていく。明らかになる事実に受け止める時間も覚悟もなくて絶望しか感じなかった。長女はその際に一緒に説明を受けているものの、病気に対する不安より入院する不安が強い様子だった。
今まで健康体だった長女に降りかかる病気になんで?しかなかった。でもある意味痛みが落ち着いてた時期もあったのでそこで『大したことない』と判断してたと思ったら今どうなっていたのだろうともっと大変だったと思うと、あの時の判断は間違いなかったと思う。
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