放任主義と過保護③

高校を卒業すると東京の専門学校へ進学したので私は18歳で家を出ることになった。
女子寮の二人部屋で初めて眠るとき「両親の住む家に『ただいま』と帰って、当たり前に寝起きしていた毎日は終わってしまった」と気がつき、急に悲しくなってちょっと泣いた。
その時両親がまだ39歳だった事は、自分がその年齢を越えた今になって驚いてしまう。

自分が親になってみて『放任』は簡単な事ではないと痛感する。
“放任主義”という子育ては『ほったらかし』とは違う。子供のすることにやたら干渉せず、何でも自分でやらせ、失敗にも手を貸さない。
けれど、そこにはちゃんと見守る姿勢があり独りでも生きられる術を習っていた事が今になるとよく解る。
例えば両親は幼い頃から私にお味噌汁を1人で作らせたりしていた。初めて作った時など何も判らないので「えのき茸が丸ごと味噌汁に浮かんでいた」と、今でも笑い話にされる。
小学生の頃から上履きも外履きも自分で洗っていたし、洗濯もしていた。
お米の研ぎ方も餃子の包み方も当たり前に知っていた。

これが驚くことに、私の娘たちは何も出来ない…。何故かというと、私がやらせられなかったから。

子供に夕飯を作る手伝いをさせようとすると、自分1人でやった方が圧倒的に早く済むことが判る。子供にやらせると時間がかかる上に目が離せなくて正直面倒くさい。自営業で営業中に夕飯を作ってるせいもあって、これはなかなか大変なことだ。でも、ここをクリアしないと1人でやらせることが出来ない…。

親になった私は、娘が幼い頃から要求される前に目の前に飲み物も食べ物も並べていた。
家でも出先でも定期的に「トイレ大丈夫?」と確認していた。
髪の毛も毎日乾かしてあげていたし、翌日の服も用意した。
もちろん遠足にはリクエストに応えてピカチュウのキャラ弁なども作った。
出掛ける時は何があっても困らないように、常に爪きりや紙石鹸、カイロや冷却シートも持っていた。(持ち物が多いのは今もだけど)

何よりも学校からのお便りは気をつけてチェックした。中学生以上になると、反抗期もありさすがに面倒みきれないので親の関わる行事以外は気にすることはなくなったけれど、小学生までは行事や持ち物忘れをさせたくなかった。
幼い頃自分が遅刻や忘れ物で経験した絶望的な気分を、子供達には味わわせたくないという気持ちが強かった。
放任で育ったはずの私は気がつくと完全に過保護な母親になっていた。
これから子育てする方には、幼い頃からの読み聞かせ(これはまた別の理由があり)と適度な放任主義を心からおすすめする。
自業自得だけれど、これから子供達が独り立ちするまでに教えなければならない事が山ほどある。長女がやっと1人でクッキーを焼けるようになったのがせめてもの救い。(後片付けはしない)

さらに残念なお知らせがある。
放任によって自分ですることを学び、最低レベルの料理は出来なくはないけれど、そこから先へ進むには私には『向上心』と『意欲』が足りなかった。
やっていたからといって“好き”になる訳ではない。つまり、私は料理が上手くもなければ好きでもない。というか、どちらかと言えば嫌いだ。
“やりたくてやった事”ではなく、“やりたくないけどやるしかなかった事”はそれ以上のモノにはならなかった…。
自慢じゃないが、もし家族がいなかったら自炊なんぞしていない自信がある。

余談。
私が卒業した高校は、残念ながらその後他の高校と合併したので廃校になってしまったのだけど、ダウンタウンのあの年末の番組で『病院編』のロケ地として使われた。
あの回だけはダイジェストの再放送の度に
「めっちゃ懐かしい…(T-T)」
という、ちょっと違う見方をしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?