生きていて良かった。
11月末私は心が壊れた。
経済面が厳しい家庭の事、上手く行かない副業、女性ホルモン剤からくる微々たる情緒の波、それが重なりどうでもいいような事でイライラしてしまう職場のストレス
全てがミルフィーユ状に重なり、私の体にのし掛かっていた。
だが、その精神を蝕むミルフィーユはかわいい名前をしていながら私の精神を蝕む凶器だった。
心が壊れる前の日、私の精神がミルフィーユに押し潰されてしまったようで朝の現場準備の時に涙が止まらなくなり泣き崩れた。
幸いその時は私以外は誰も現場に居なかったから気付かれなかった。
だけど、そのミルフィーユプッチン事件を皮切りに私の心の中には「死にたい」という感情が渦巻き始めた。
さあそうしたら大変で、私の頭の中には「どうやって死んでやろうか?」という考えでいっぱいになった。
目に飛び込むものでどうやって死ねるか考える。
「この次亜塩素酸を一気飲みしたら死ねるだろうか」
「包丁で首をかっ切れば楽?」
「何かの薬を大量に飲んで」
「首を吊るのが一番楽?」
「いや、飛び降り・・・」
「むしろ飛び込み・・・」
「練炭なら・・・苦しくないよね・・・」
頭のなかに渦巻いた致死念慮は答えを見いだした。
練炭自殺だった。
その日の夜、私はその思いを抱きながら家に帰った。
自殺方法を調べてマジで死ぬ予定だった。
だけど今はお金が無いからあと数日後に迫る給料日にお金を下ろし、準備をして死んでやろうと気持ちをそっちに向けていた。
だが私の心は限界だったようで、布団に入り暫くスマホを見ていたときに涙が溢れだし私の心をミルフィーユで更に圧縮してきた。
耐えられなかった。
今の私の現状に耐えられなさすぎて、いても立ってもいられずクローゼットからベルトを取り出しカーテンレールにくくりつけた。
ちょっと力を入れると「ギシギシ」とそれは唸り声を上げて私に止めろと言ってくる。
だけど私はその不安を振り切っていざ首をそこへ通し土台にしていた机を蹴りあげようとした。
だがそこまでいけなかった。
いざ死んでやろうとした瞬間、急激に私の心の中に雷鳴が鳴り響きゲリラ豪雨が襲った。
耐えられなさすぎた心の限界が致死念慮をぶち破って“悲しみ”を私に襲わせた。
私は号泣しその場に崩れ落ち、這いずって近くにあった布団へと潜り込んだ、枕に顔を埋め出てくる声を殺して暫く泣いていた。
頭のなかに渦巻くのは家族の事や仕事の事、だけどそれよりも何よりも12月に会おうと約束した大切な人を悲しませてしまうのが許せなさすぎた。
本当にそれでいいのかと感じ私は思い止まった。
だけどそれが私の心を完全にぶっ潰す要因になった。
次の日、会社に出勤するのが嫌すぎてギリギリの時間まで家で一人で駄々をこねていた。
だが仕事に行かなきゃという思いから、重い体を持ち上げろくに身支度もせずに会社に向かった。
運転中にまだ消え去っていない致死念慮のせいでこのまま事故に会わないかな?
とか思いながら無事会社に出勤、重い体を持ち上げ車から降りたが入り口数歩前で動けなくなりそのまま泣き崩れた。
メンタルが完全に押し潰された瞬間だった。
異変を察知してくれた社員さんに連れられ再び車に戻され泣き崩れていた時に私の目の前にスマホの充電コードが飛び込んできた。
それを無意識に手に取り首に巻き付けて絞めていた。
徐々に締まるコードで「おえっ」とえずきながら私は必死で自分を殺そうとしてた。
「早く死ねよ」って勝手に口走ってた。
だけど泣きすぎた私の手にはそれ以上コードを締め付ける力はなく、徐々に力が入らなくなり結局はまた未遂に終わった。
「なんで私を死なせてくれないんだ」
そう思いながら暫く車のなかで絶叫しながら泣いてた。
そして、泣きつかれてうなだれてる所に上司が来てくれ私の話を聞いてくれた。
その後とても仕事のできる精神状態ではない私は早退させてもらい帰宅、そして次の日に病院へ行って“鬱の疑いあり”と診断された。
辛かった。
体が重くて動かなかったから、尚更辛かった。
だけど次の日私に光明が差した。
私の体調が悪くなったと母から聞いた姉が家に駆けつけてくれて私の話を聞いてくれた。
怒られると思ってた。
だけど姉は私の気持ちの中にあった重荷をはずしてくれた。
「もう家の事にしばられなくていいから、貴方には自由に生きてほしい」
そう言われてハッとした。
気持ちのなかでは薄々感じてた。
このまま実家にいても、私は親への甘えや親からの圧でやりたいこともろくに出来ないことに改めて気付いた。
姉は言ってくれた。
「お母さんの事は私がなんとかするから、アカリはアカリらしく自由に生きて、だから別にこの家にこだわらなくていいから」
その言葉が私を後押ししてくれた。
「もう何にも囚われずに自由に生きよう」
そう決めた。
姉もできる限りバックアップしてくれる。
私の身近に居た私を肯定してくれた存在、今までのプライドを捨てて私は本当に“妹”としての存在になろうと決めた。
致死念慮を抱いていた私のその気持ちを和らげてくれた。
今はその計画を実行するために色々考えてる。
その時は凄く楽しく感じれるから、辛くなったらなるべくそれを考えて生きてる。
姉のお陰でいきる希望がまた持てた。
だからまだ生きようと思う、あの時本当に死ななくてよかった。
生きててよかった。
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