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向かう席

9時。
肌を突き刺すような風が吹く。
まだアップ段階。
体が温まっていない。
一番辛い時間。
一番部活が嫌になる時間。

「真奈ー。走るよー」

同級生の香織。
三年生が引退してから、部長を任されている。
明るく、あっけらかんな性格だ。
みんなに好かれていて、部長投票も満場一致だった。

「はぁーい」


冬休みになってからは毎日のように部活がある。
しかも朝。
信じられない。

ただでさえ、寒いのに、なんで朝。
しかも外。
私たちは剣道部だよ?
室内スポーツなのになんで外で…。
うぅ、寒いぃ…。

でも、昼過ぎには帰れるのはありがたい。
みんなお昼ごはん持ってきているけど、私はNO。
ごはんはお家でゆっくり食べるのに限るから。
お昼を超える練習だったら、みんなとごはんを食べなければいけない。
ほんと、唯一の救い。


「真奈。タイムどう?」

香織は私にも話しかけてくる。
私に興味があるのか、部長という立場上、私みたいな存在もほっておけないのか。
どちらにせよ、完全ボッチだと色々とやりづらいし、助かっている。

「んー、ぼちぼちかな」

「ぼちぼちってなによ笑。縮んだ?」

「ちょっと縮んだよ」

「よかったよかった。じゃあ監督に縮んだって言っとくね。ほら、シイタケさ、最近外周のタイムにうるさいじゃない?」

「んだね。助かるわ」

シイタケとはうちの剣道部監督のあだ名。面を取った時の髪型がシイタケの裏側みたいだ、ということで命名された。いや、命名した。私が。

外周のあとは武道場に戻って、ストレッチ、素振り、足さばきの練習をする。
外周を終えた部員たちはそそくさと武道場に戻る。
そして、武道場に入るとすぐ裸足になるわけだが、これがまた辛い。
武道場の床板がきっんきんに冷えていやがるのだ。
私たちは更衣室で道着と袴を身に付けた後、武道場に戻ってくるが、足がまるで針に刺されたような痛みに襲われる。
夏場の太陽に熱せられたプールサイドを歩くように、足をじたばたさせながらシイタケが戻ってくるのを待つのだ。

「よし、全員そろったな。じゃあ、室内の稽古。いっちょやろうか」

「「はい!」」

シイタケの一言で、剣道部らしい練習が始まる。
準備体操、ストレッチをしたのち、正面素振り、左右素振り、跳躍素振りを50回ずつ。そして、すり足の練習。武道場の端から端まで、すり足で往復を5回。
素振りを始めるころには足も温まっていて、寒さも感じなくなっている。
部員全員が声を張り上げて素振りするから、なんか武道場内も心なしか暖かく感じる。こうなってくれば、あとは寒さじゃなくて、自分の体力と忍耐との闘い。どれだけ練習についていけるか。
てか、なんなん、いっちょやろうかって。キモすぎ。


「うっし、じゃあ10分後、面つけてやるぞー」

「「はい!」」

私達は壊れた鳩時計のように、「はい」しか言わない人間になる。シイタケの前では。


「ふぃー、疲れたぁ。マジ帰りたくね?」

「部長なんだからそーゆうこと聞かれるとまずいでしょ」

「いやいやいや。みんなと剣道するのは楽しいけど、別に部長はやりたくなかったし。てか、シイタケがいる時点で部活楽しくないし」

「あはは。わかるー」

「真奈、最近楽しいことあった?」

「え?」

部長がニヤニヤしながら聞いてきた。
なんだこいつ。
別に楽しいことなんてない。
楽しくなりかけてるものはあるけど。

「真奈、前より私の話を聞いてくれるようになったよね。3年生がいた頃なんて、全く話してくれなかったのに」

「そうかなー?でも、もともと人と話すの得意じゃないから。香織だけじゃなくて、みんなとも話してなかったよ」

「うん、知ってる。真奈は誰とも話そうとしてなかった」

「今もだよ」

「だよねー。でも前よりは私の話に付き合ってくれてる」

「そうなんかな。自分でもわかんない」

「教えてよ〜。なんかあったんでしょ〜」

「だから、何もないって」

「ん〜、ケチ〜」

教えるも何も何もないんだって。
キツい部活を終えたら、家にさっさと帰って、塾に行くだけ。塾だって別に勉強が楽しいわけじゃない。
もう勉強なんて消えればいいって思ってるし。
私のこのさざなみ生活を面白いと思うわけ?

休憩が終わる。
これから防具をつけて練習をする。
切り返し、各技の確認、掛かり稽古、地稽古。
一通り終わる頃にはお昼になっている。
没頭さえしてしまえば、なんてことない。
練習はあっという間に終わる。
1年生の打ち損じを防具のない薄い布で守られた柔い肌に当てられても、裸足同士で小指をぶつけ合っても、シイタケに剣道という合法的な体罰を受けても、ただただ没頭するのだ。決して、辛いとか帰りたいとか思ってはいけない。思ってしまったが最後、何もかもが無気力になり、打たれるだけのサンドバックになってしまう。

今日も今日とて、没頭で乗り切るつもりだった。
没頭というルーティンをこなすつもりだった。
そのつもりで部活にきたんだ。
しかし、シイタケは私のそのルーティンを見抜いたかのように、メニューを変更してきたのだ。
基本技練習をカットして、掛かり稽古を30周。
夏に向けて体力をつけなければならない、という脳筋が練習を正当化させるための文句も添えて。
ほっんと。ウザすぎる。
掛かり稽古30周とか、そんなん1日中外周してた方がマシだっての。ふざけんなって。殺す気かよ。
いつかマジで乾燥シイタケにしてやる。

「オラオラァァァ!どうしたー!もうへばってんのかー!」

シイタケの怒号が武道場内に反響する。
今は令和ですけど。
こんな閉鎖空間じゃなかったら絶対問題になってるよ、これ。体当たりの練習とか言ってるけど、ただのぶつかり稽古じゃん。知ってますか、シイタケ。体当たりは必ず打突動作をしてからじゃないといけないんですよ。ただの体当たりは反則ですよ?
そして貴方の面をつけた時の顔も反則です。

てか、シイタケの横に並んでるOB連中もなんとか言えよ。
今時、こんな脳筋練習をやってる所なんて珍しいぞ。
この部活を卒部する頃には貴方たちみたいなシイタケの子種になっちゃうんですか?願い下げなんですけど〜。

正直、10周目あたりからもう記憶がなかった。
自分が何を打って、何を言われて、何を叫んでたかも覚えてない。ただ覚えてるのはシイタケの番になると必ず吹き飛ばされてたってこと。男子ですら吹き飛ばされる体当たりを女子にも普通にやってきてたってこと。
ビデオ回しとけばよかった。一発レッドだったのに。
悔やまれるなマジで。

30周終わる頃には手を竹刀から剥がせなかった。
言いなりOBが一本一本指を外してくれた。
「大丈夫?頑張ったね、お疲れ様」だって。
私が元気だったらマジで叫んでるぞ。きゃー!やめてー!って。社会的に殺ってるぞ。
良かったな!掛かり稽古30周の後で!

地獄の掛かり稽古の後、15分の休憩を挟み、地稽古をやった。地稽古を開始の合図とともに、部員はシイタケの元に駆け寄り、早い者勝ちで稽古をつけてもらうのだが、今日は誰も行かなかった。
案の定、シイタケはキレてた。

「シイタケタケタケタケタケタケー!!!!!」

もう私の脳には人間のシイタケは認識されなかった。


地稽古を30分ほどやった後、整列して練習が終了した。
またキレてた。シイタケ君。

「シイ!タケ!シイイイ!タケタケタケタケタケ!」

このキノコは本当は何を言ってたんだろうか。


ただ、地獄のような練習をした後でも、一度練習の枠を越えると一気に元気になるのが中学生の不思議な所。
今まで受けてた体罰をまるで昔を懐古するかのようにネタにして円を作り弁当を食べる。
そんな元気があればもっと真面目に練習できたはずタケ!、と捨て台詞を吐いたシイタケの気持ちが少しわかるほどに。

シイタケが帰り、OBが消えた後の私達は無敵となる。
徒党を組み、先ほどまで戦場だった床に色とりどりの弁当を並べ、剣道の掛け声とは程遠い声で話し合う姿は側からみれば桃源郷のようだ。
そして、そんな桃源郷に私は属さない。
シイタケとOBから少し時間をあけて武道場を出る。
いつものことだった。

武道場に一礼して、靴を履く。
みんなの話し声が聞こえるが、私には聞こえない。
聞こえてるけど、聞いてない。
私に言ってないから聞く必要もない。

はぁ〜、と一息。
青いなぁ、空。青すぎて何か怖いなぁ。
完璧なものほど憧れじゃなく、恐怖を抱くって美術の先生が言ってたけど、わかる気がするな。
少し抜けてて、変な部分がある方が魅力的なんだよね。

練習がきつすぎて、練習終わりは毎回、「まだ12時か!」と自分でノリツッコミをしている。
練習中は時間の感覚がない。
いや、というより無くしている。
これが没頭の成果。練習終わりに時間の再確認をすることで今日も没頭が成功したと笑みを浮かべるのだ。

ま、今日は没頭というより、シイタケへの殺意が時間を忘れさせてくれていたが、まぁ終わったし結果オーライとする。
さぁ、帰ろう。

「あ、真奈ー!待ってー!」

さぁ、帰ろう。

「いや、真奈ー!止まってー!」

さぁ、帰ろう。

「進み続けるんかぁーい!止まってー!」

さぁ、、、。ハァ、、、。

「香織、どうしたの?」

「いや、まず止まってよ!聞こえてたでしょ!笑」

「ちょっとねぇ、考え事してた。耳から通り抜けてた」

「もう!真奈!」

「で、どーしたの?」

「あのさ、明日は練習オフだって。さっき真奈がトイレ行ってる時にシイタケ言ってた!」

「え!?マジ!?やった!ありがとう!」

「でしょぉ!それとさ、明日休みだからさ、剣道部女子で出かけようよ」

「えっ」

「洋服買お!みんなで冬服!」

「あーー」

「…?無理そう??予定ある?」

「予定ってか…。」

「ん???」

「明日塾だわ」

「あ!でも、勉強嫌いじゃん!?まだ中2だし休んじゃいなよ!」

「そうもいかないんだよねぇ」

「お母さん厳しいの?」

「いや、言ったら休ませてくれると思うけどさ」

「じゃあ行こうよ!みんな行けるっていうしさー!」

「んー、やっぱゴメン。明日は外せないわ」

「そこをなんとか!」

「ごめんちょ」

「んー、そっかぁ!わかった!じゃあ真奈にもお土産買ってくるね!」

「お、ありがとう」

「じゃ、最後にさ!」

「何?」

「塾楽しいの?」

「んー」



「ヒミツ」




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