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毒裁

 「国を操るなど、タバコに火をつけるようなものだ。造作もない」 

 端正にスーツを着こなす紳士が、異様に落ち着いた会議室にて、柔和な口調でそう語った。彼は、自国「ニシキ」の長であり、自国を意のままに操作する独裁者だ。適度にシワが刻まれた優しい笑顔や、柔らかくセットされた銀白色の毛髪など、その見た目からは、独裁者の威厳を微塵にも感じられない。故に、この上なく異様な雰囲気を醸し出している。

 この異質な紳士「ヤサカ」が独裁者になり得た理由は、ニシキに漂う「線香の煙」にあった。厳密には、線香の煙ではなく「毒ガス」と表現すべきだろう。ヤサカは、ヒトを洗脳するガスを生成する能力を有していたのだ。そして、ニシキ各地に設置されたガス管を通して、その心地良さすら感じさせる毒ガスを国土全域に拡散させる。また、ニシキは標高の高い山脈で囲まれており、広大な盆地内に国土を有している。つまり、持続的に毒ガスが滞留する地理的特徴を持つ国でもあるのだ。

 そして、盆地内で「毒」を吸引した住民の脳は、無意識のうちにヤサカの思考に支配される。例えば、不都合な反社会勢力の脳をハックすれば、一滴の血も流さずに、自己の思想で上書きする形で、ヤサカ毒裁政権に対する反感思想そのものを抹消し、彼らをたやすく無力化できる。また、外交場面でも「毒ガス」の脅威が発揮される。他国首脳、大統領との会談で、毒ガスを吸引させることで、彼らの洗脳する形で言動や思考を操作し、交渉において常に優位性を保つことができた。しかし、あくまでもこれらは一例である。市場の需給バランスの制御、株価操作、法律整備、宗教弾圧、科学技術の統計データの改ざん…。毒ガスの用途は多岐に渡った。つまり、万物のさじ加減が、この紳士の気まぐれで決まるのだ。

 このように、毒裁者・ヤサカが生成する、毒ガスと呼ぶべき線香の煙は「相手に感知されることなく思考を支配できる」と言う点から、非常に強力であった。

 その一方、無限に膨張するヤサカ毒裁政権を脅威と捉える国々が多く存在するのも事実だった。そして、国内では、ヤサカ毒裁政権の反乱分子が少なからず潜在している。故に、ニシキ国内外では「ヤサカ暗殺計画論」が流布しており、ヤサカ政権下で脅威が生じつつある事に間違いはなかった。

 これらの状況を踏まえ、ヤサカは、保身として息子のギヲンを「毒裁政権」の後継者に見据えていた。しかし、原因は不明だが、ヤサカはギヲンを洗脳することができなかった。彼の洗脳能力を使えば、容易に息子を後継独裁者に仕立て上げられるだろう。だが、それができないため、ヤサカはギヲンに交渉の機会を作らざるを得なかったのである。そこで、昨今の情勢を踏まえて毒裁政権の継承に関してギヲンを交えた会議が組まれたのだ。定刻と同時に、ヤサカはギヲンに次のように提案した。

「単刀直入に申し上げましょう。将来的に我が政権の継承者となってもらいます。」

「そこで、為政者となる準備を兼ねて、手始めにギヲンの指揮下にて暗殺計画論の首謀者を吊し上げてください。」 

 「いいえ」と言わせない物言いである。相変わらず落ち着いた口調であったが、強制的に後継者に仕立て上げようとする姿勢には、微かに焦りを含んでおり、息子は肌で父親の心理状態を、確かに感じとっていた。

 夕方の日差しが深く会議室に差し込む中、ギヲンの目線が落葉した木々にゆっくりと向かい、異様な数秒の間が生じた。そして、徐にタバコを咥え、両足をテーブルに乗せ、ライターに火を灯す。その刹那、同席していた全役員が、一斉にヤサカに銃口を向けた。常に平静を保っているヤサカではあったが、自身の手駒である傘下役員が寝返ったことに、わずかながら動揺している。

「それには及ばないよ、父さん」

 今、私の手駒は『ギヲンに』洗脳されているーー。突然の事態に、ヤサカの脳内に多大な情報が流れ込み、暴れ始めた。

「(なぜ私以外の人間が「毒ガス」を扱える?ギヲンはこの能力を誰にも明かしてなかったのか?いつから能力を使えるように?そもそも、現時点でどれくらいの人間が洗脳されている?いや、まずギヲンは何を考えているんだ…?)」 

 役員達の瞳が紅に染まっている。ギヲンの瞳と同じ色だ。毒ガスで洗脳された人間の瞳は、洗脳能力者のそれと同色に染まる。洗脳能力を有するヤサカだけが理解できる現象だ。そして、息子が深く煙を吐きつつ、ついに謀略を暴露した。

「国を、そして世界をおもちゃ扱いする事は、良くないと思うんだ。父さん。」

「だから、全市民の思考を僕の『思想』で上書きする。洗脳で世直しをするのさ。」

(完)

©︎2022 脳細胞0.0001個・らのもん

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