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「全」クリエイターに捧ぐ。「ぼっち・ざ・ろっく!」 必見シーン

※このコラムは一部ネタバレを含みます。

「ぼざろ」こと「ぼっち・ざ・ろっく!」が人気を博している。「ぼっちちゃん」の愛称で登場する、ヒロインの「後藤ひとり」の誇張された「コミュ症あるある思考」や、彼女と個性的なバンドメンバーらとの交流など、その面白さに気づいた筆者は確実に5周はアニメを視聴した。その過程で、クリエイティブな活動をする人に刺さる、示唆に富んだシーンを発見したので、紹介させていただく。

 まず、簡単に該当シーンに至る経緯を説明する。バンドを結成したヒロイン一同は、オリジナル曲を作ることになり、作詞を任されたぼっちちゃんは「ヒット間違いなしの楽曲(歌詞)」を作ろうと試みた。要するに、彼女は万人ウケを前提に歌詞を考えたのだ。そして、試行錯誤の末に完成した歌詞を、先輩でありバンドメンバーでもある「山田リョウ」に確認してもらう事になるのだが、そこで彼女がぼっちちゃんに次のようなセリフを投げかける。

「個性捨てたら死んでるのと一緒だよ」
出典:「ぼっち・ざ・ろっく! 」第4話(アニメ)

 上記は音楽を手がける人間に限らず、全てのクリエイターにとって非常に重要なフレーズであるだろう。なぜならば、表現よりも「ウケ」を意識してしまえば、それは創造的な活動をしているとは言えないからだ。紅葉に満ちた清水寺の水彩画を描くにしても、自作の歌詞を初音ミクに歌わせるにしても、(筆者はプレイした経験はないが)マインクラフトで壮大な建築物を建設するにしても、そして、noteで記事を作るにしても、あらゆる創作物の根底には「個性的な表現」があるべきだ。

 私たちには「承認欲求」が先天的に本能として備わっている。他者に「認められたい」「すごいと思われたい」「目立ちたい」等の思考は、個人差はあれども当たり前の事だ。そして、コンテンツを創造し、他者から評価されるー某新聞社主催の広告作品コンテストで入賞する、文化祭のステージでピアノの演奏をして拍手喝采を受ける、SNS上で自作のイラストに多くの「いいね」やコメントが付くーことで、創作のモチベーション向上にもつながるだろう。その点を考えれば、承認欲求は創作活動の起爆剤ともなりうる。

 しかし、過度に他者からの評価や承認を意識して創造的行為をしてしまえば、「個性的な表現」がないがしろになり「ウケ狙い」の作業となる。本来、個性的な表現をしたり、その行為を楽しむはずの活動が、他者を満足させるためだけの活動になるのだ。最初は気持ち良いが「結局、私(たち)はどうして歌うのか?」「絵は描けるが、私の絵の特徴って何だっけ?」「結局、私はどんなジャンルの文章を書きたいの?」等と、創作活動の目的を見失うのではなかろうか。つまり、度を越した承認欲求は「個性的な表現」を食い殺してしまうのだ。

 クリエイティブな活動にはクリエイターという「生産者」がいて、彼らが創造したコンテンツを味わう「消費者」がいる。そして、コンテンツの味次第で評価や承認がリターンとなり、それらが生産者、つまりクリエイターの創造意欲を掻き立てることは間違いない。だが、評価や承認に貪欲になり、「個性的な表現」を放棄した途端、その人はクリエイターとは言えなくなるだろう。コンテンツを味わう消費者の表情を気にすることは悪い事ではないものの、それ以上に生産者は「生み出す味」にこだわることを忘れてはならない。

©︎2023 らのもん

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