見出し画像

55歳からの⚪︎⚪︎ 〜 もし今日が定年退職日の前日だとしたら

もし今日が定年退職日の前日だとしたら、と想像し、心に浮かぶままに書いてみる。


・・・


十代の頃の自分は、真っ当な人生を歩んでサラリーマンになったひとを嘲るようなところのある毒々しい人間だったのだが、その後流されるままに社会に出てからは、自分自身もどっぷりその世界に浸かってしまい、最初の2年間くらいはひたすら頑張っていた、と思う。
でも、当時は、自分が何処に向かっているのか全くわかっていなかった。長期的な目標や目的を持つことがなかった。まあ、サラリーマンごっこをしていたということなのだろう。

その後も、結婚し子を授かり周囲と同等に働けないという後ろめたさが加わったことなどもあり、どんどんカイシャの方向性にベクトルを合わせられない人間になっていってしまった。

自分なりに、早く正確にタスクをこなす、細部まで注意深く見つつ俯瞰的であることも忘れないよう心掛けるなど、拘りをもってはいたものの、それは、あくまでも自分なりでしかなかった。ごく個人的な達成欲を満たし続けただけだった。

「この世界」の物差しの中では成長しなくてもいいという気持ちがあったのも確かだ。しかし、主に自分が生きている世界できちんと努力せず成長できなかった自分は、残念ながら、人間としても成長できていないというのが現実だ、というのが今の実感だ。

家事と子育てに専念する人生は、たとえそれが可能であっても自分の選択肢にはなかった。今思えば、何かを選ぶということは、その責任を負わなければならないということ、という意識があったのだと思う。つまり、自分は、カイシャインであり妻であり母でもあることにしたことで、全ての道を選んだのではなく、全ての道を選ばなかったのだと言える。そんな自分が、カイシャの外では成長した、などということがあるわけがない。

この30年は、ただただ事象に反応するだけ、事象そのものにはなり得ない日々だった。


・・・


書き出してみたら、なんとも救い難い内容になってしまった。
しかし、書くことで初めて気がついたこともあった。
定年までの5年間で、やるべきことが見えてきたのは確かだ。
55歳でコレをやっておいてよかった、と後で思い返せるような過ごし方を、これからはしていくつもりだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?