本厚木 【何故か来たくなる街】

本厚木という街がある。新宿から小田急線で1時間ちょっと、平野と山の境目にある、商業施設やオフィスもそれなりに集積した、神奈川県央の大きな街。

千葉県生まれ千葉県育ち、友人が住んでるでも職場や学校があるでもないこの(本)厚木の街だが、なぜかたまに足を運んでその空気に触れたくなってしまう。

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私が本厚木を初めて訪れたのがいつだったかは忘れてしまったが、おそらく私が大学一年か二年の頃で、首都圏の主要都市の姿を知っておこうキャンペーン、要するに首都圏の主要な街で「行ったことのない」街をゼロにする活動を行っていたときだったと記憶している。街を収集対象と見立てたコレクター的な興味もあり、首都圏にある街をしらみつぶしに歩き回っていた、その対象の一つだった。

ともかくそんなわけで本厚木を知った私だが、その後何度か――本厚木と同様に縁もゆかりも無いほかの街よりは明らかに多く――この本厚木を訪れることになった。

何も考えず横浜線に乗り、町田で小田急線に乗り換えて本厚木で降りる。近所に住んでる人が、特に何するでもなくとりあえず街に出るみたいな感覚で出てきてなんとなく過ごす。とりあえず北口の広場に出てみてボーッとして、地下道を歩いてアミューまで行き、おやおや地下売り場はちゃんと人がいるなとか、向かいのイオンはどうなのかとか、イオンから外に出てバスセンターのデッキが相変わらず鳩だらけなことを確かめたり、駅前に戻ってミロードのスタバで通行人をただ眺めたりする。ドムドムの久方ぶりにできた新店舗も何度か訪れた。だいたい3時間ぐらいで満足して家に帰る。

意味もなく来て意味もなく歩いたりするだけに留まらず、例えばあるときは卒論を書きにやってきたこともる。家と図書館の往復に飽き、更に先延ばし癖と進捗の悪さでどうしようもなくなっていた折、気分を変えるべく文献とパソコンを携え、あつぎ大通りのベローチェに少しのあいだ籠城した(空いていたので許してほしい)。普段よりは幾分か捗ったが、達成感から駅前のカラオケルームで2時間ほど一人カラオケをしてしまい何をしに来たかわからなくなったところで帰途についた。このときに勧められたお陰で、今でもたまに本厚木のカラオケ店からクーポンやら何やらの連絡がやってくる。そうするとまた、たまには行かなくちゃなとか思う。

数ヶ月とか半年とかそのぐらいのスパンで同じ街に訪れるのを繰り返すと、そのうち徐々に街の詳しい土地勘がついてきたり、細かい街の変化に気づくようになったりして、それこそ本厚木なら本厚木を"地元"とする、厚木の郊外やら、あるいは伊勢原とか秦野あたりに住んでる自分が形成されていくようでなかなか面白いし、小田急線の電車を降り、改札を抜けるともはや"帰ってきた"感覚さえ覚えるようになった。

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ある街のこと――つまり今回なら本厚木のこと――を好きになるとか気にいるとか、そういう情緒の理由を文字に起こそうとすると「雰囲気が好き」みたいな漠然とした形容詞単品以上に解像度を広げるにはなかなか骨が折れるが、敢えてそれを少しずつ考えてみたい。

私は地方都市が好きだが――「地方都市」という言葉の定義が人それぞれすぎてその解釈の違いが原因でよくわからない論争に発展しているのをtwitterほかでよく目にするので先に言っておくと、この文脈では三大都市圏を除いた街で都市規模の大小は問わないぐらいにしておきたい――、それは地元――松戸であったり八王子であったり、それをまるごと包摂する大都市圏・東京――とはあまり関係のない別の時間軸で動いている、しかし確実に人の営み人の動きが進行している空間に魅力を感じるからだ。少なくとも現時点ではそういう自認である。あるいは東京都心という圧倒的な影響力、求心力、発言力を持つ巨大なコアを中心に携え、普段の日常生活レベルですらその影響を抜きにはできない東京都市圏内部の日常圏から見た「ここではないどこか」への憧憬みたいなものなのかもしれない。

そして本厚木。この街は東京との絶妙な距離感がある。新宿から45kmという距離は、都市内の万人が日常生活に東京を組み入れる、あるいは組み込まれるには少し遠すぎる。東京近郊で存在感のある大宮やら町田やら柏やら(だいたい都心から30km前後)よりもさらに一回り遠い。首都圏と切り離された完全に独立した街、と言うのは明らかに違和感があるが、それでは首都圏の中の衛星都市ですかと問われればそれはまた自明にNOである。東京の影響を受けながら、ついでに横浜の影響も受けつつ、絶妙なパワーバランスで形成された厚木の街。東京が震源となるある種の慌ただしさと、東京のそれとは全く別の時間の流れ方が同居している街。この絶妙な距離感、周辺都市との関係性みたいなものが街に与える影響は、気の所為かも知れないがまあゼロではないと思う。

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私の住んでいた八王子から1時間というのも――これは私にとってだが――絶妙な距離だった。電車に乗って1時間かかる場所は明らかに近所ではないし、このぐらいの移動はシンプルに日常の良い刺激になる。ところで八王子から厚木に行くには、横浜線とか相模線とかに乗って橋本とか海老名を経由して至る。いくつかルートはあるが、どのルートにしても道中に街が"途切れる"瞬間がある。例えば小田急線なら海老名を超えたあたりで高架橋から外を眺めると、住宅びっしりだった車窓は田んぼと建物が交じる、いわば街と街の"あいだ"のような景色に変わる。こうした"途切れ"とか"あいだ"みたいなものを挟むと、自分の住んでるエリアから自分が日常としないエリアに切り替わったような心持ちがして、これもなかなかよい。

あまり長くなると記事をまとめられなくなり、下書きフォルダがどんどん増えるばかりなので、一旦ここで筆を置いて強引にまとめ上げてみる。本厚木、東京との距離感、そして私の(元)家との距離感。街の雰囲気、ある街について考える際に、街そのもの、町並みそのものへのアプローチだけでなく、その街の外部、周辺地域との関係性(だけ)に目を向ける癖があるので、今回は厚木の魅力について、そうした思考を少し綴ってみました。

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