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わたしのこと、さん


内容がちょっとセンシティブなのでそういうの苦手な方は見ないで下さい、自衛してね😔



【メンタルの不安定と自傷】


1個前の投稿にも書いたように私は高校2年生で援助交際をしていて、当然のようにメンタルはどんどん不安定になっていった。


客と会う度に死ぬかもしれないっていう極度の不安、虚無感でしかない行為、お金を稼ぐことへの執着、どんどん汚れてく心と身体。
その全部が重荷(自分でそうしてただけなのにね)で、気づけば私はリストカットが癖になっていた。

毎日毎分毎秒「死にたい」と思いながら左手首に何十箇所もカッターを当てては引いた。
そのうち内側だけじゃ場所が足りなくなって表面にも刃をあてて、流れてくる血を見ては安心した。

死にたい癖に死ねない、生きてる事を確かめてた。

そのうち二の腕も切って太ももも切って、全身傷だらけで痛いのに、私は流れてくる血を見て安心してた。「ああ、今日も最低だけど生きてるな」って。

 腕を切ってるから夏場でもバイト先でカーディガン、学校でもワイシャツの袖は捲らない、血がワイシャツについちゃったこともあった。

あの頃の私の思考回路は私にも理解できないんだけれど、次の私はODをはじめる。
死にたいのか生きたいのかどっちなんだよって。

生きたくないけど死にたくなかった

熱いお風呂に浸かりながらブ○ンを1瓶(80錠)飲んだりしてた。頭がふわふわして何も考えられなくなる。
視界もチカチカして、あ、死ぬかもって思いながら突然冷静になって無理矢理湯船から這いずりでる。

体調は最悪になるしそのあとしばらく引きずる。死んでしまいそうなくらい辛い思いをするくせに結局80錠じゃ死にきれなかった。

バンドマンを追いかけた約1年、私が手に入れたものは汚いお金とボロボロの心、悪い事をしているいたたまれない程の罪悪感、それから色素が残って黒ずんだ傷。左腕は3年経ったいまでも傷跡が消えない、多分一生残る。

1枚二千円ちょっとの2ショット、ちょっと前に数えたら300枚を超えてた、たった1年、しかも10回そこらのイベントで私はいくら使ったんだろう。
47都道府県ライブもほぼ全通した、チケット代に交通費、宿泊費、食費、全部でいくら使ったんだろう、どれだけ働いてたんだろう、あまり思い出したくなくて詳しくはもう忘れちゃった。

でも1個だけ言えるのは、結局何も残らなかった。
あれだけ大好きだったベースの彼も今はもう好きじゃなくなってしまった、2ショットチェキはただのゴミになっちゃった。残ったのは後悔。

一緒に追いかけてた他のメンバーが好きだった女の子、あのバンド、活休したけど今でも好きらしい。
その女の子と一緒に色んなところに行って楽しかった思い出だけが唯一良かったこと。

その子もそういう稼ぎ方で、今週は何万稼がなきゃ、って女子高生とは思えない会話をしてたのを思い出す。バンドマンを追いかけてる女の子ってそういう子が多い。
私のTwitterのフォロワーの女の子、死んじゃった子もいた。幸せだったのかな。幸せだったらいいな。


【私の貞操観念とレイプ】


どうして私の貞操観念がこんなに低かったかっていうのを聞いて欲しいんだけど、私は別にセックスが好きなわけでも何でもない。お金が欲しかったって言ったけどそもそも援交なんてするつもりさらさら無かった。ガールズバーでも良かったわけだし。

高校2年生の春、インスタのDMを送ってきた他校の1個上の先輩がいた。最初は普通に話してただけ、そのうち少し仲良くなって会うことになった。

待ち合わせ場所に来たのは背の高い細身の男の子。
最初はご飯を普通に食べて、それからカラオケに行った。好きでもない相手と個室で2人きりになる危険さとかそういうの何にも考えてなくて私はまんまと連れ込まれて相手にされるがままだったっけ。

痛い、痛い、怖い、汚い。

レイプされたのが初体験とか笑えなくて情けなくて私はぐっちゃぐちゃの服のまま泣いて逃げた。カラオケ店のお金は多分向こうが払ったのかな、


家に帰って家族に言う訳にもいかなくて、ただただ泣いた。それからずっと落ち込んで、また泣いた。

ある日ぷつっと何かが切れたみたいな気持ちになって、もう全部がどうでも良くなった。
どうせ汚い私は何したって同じだってどうでもよかった。自分を殺し始める最初の日だった。

高校2年生になったばかり、その時の私はまだ16歳だった。


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